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第421回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2016. 7. 1
■ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 9
約束どおり、前々回の『第419回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 8』(注1.巻末参考ページ参照)で言うてたように続き分の掲載をしたいと思う。
ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 9 82撰
何事にも終わりはあるものやが、同時にそこから新しい事が始まり続いていく。(第372回より)
すべての事柄が、そうやとは断言できんが、少なくとも海外から見た日本の新聞は、フィナンシャル・タイムズ紙に代表される「権力に挑戦するジャーナリズム」とはほど遠いという印象が強いのは確かやと思う。
日本のジャーナリズムは権力にも世論にも弱いと。主体性に乏しいと。(第373回より)
人は内緒にしてくれと言われれば言われるほど、誰かに話したくなる。また、約束させる者も本当に、その約束が守られるとは思っていない。(第374回より)
起きたことには必ず、それなりの理由と原因、要因がある。それなくして物事は起きない。(第374回より)
結論として、幽霊と思われる物質は人間の目では見ることも確認することもできないだけで、物質としては存在するということが言いたいわけや。存在する物質であれば、殊更、怖がる必要はないと。(第374回より)
年輩者の多くは一度、刷り込まれたマナー違反に対して融通が利かんため、つい注意してしまうのやろうと思う。しかし、マナーについて人を窘(たしな)める場合は正しい根拠に基づいた上でする必要がある。(第375回より)
何事においても基本ほど大切なものはない。基本を知らん者は絶対に大成しない。そして、基本は繰り返し根気よく続けな意味がない。(第375回より)
自分を正しく認識することで客観性が生まれる。客観的に自分の評価ができれば、様々な場面で、どう行動することがベストなのかということが自ずと分かってくる。(第375回より)
人は感情の動物で、明るい雰囲気の人間と接すると安心する。逆に、しかめっ面や苦虫をかみつぶしたような暗い人間に対しては無意識のうちに困難を避けようとする本能が働いて拒否する行動を取るようになる。(第376回より)
人は笑顔の状態で話すのと、そうでない状態で話すのとでは言葉の響き、伝わり方がまるで違う。笑顔で話せば明るく聞こえ、そうでない場合はそうは聞こえない。
例え相手に顔が見えていない場合であっても笑顔で話すのと、そうでない状態で話すのとでは雲泥の差があると知っておいて欲しい。(第376回より)
人には笑顔を作るための表情筋が顔全体にある。笑顔により表情筋が活性化することで脳の血流が良くなり、脳細胞が活性化すると言われている。つまり、常に笑顔を作っているだけで賢くなれる可能性が高いということやな。(第376回より)
笑顔になることによって脳内に心のバランスを整える働きをする「セロトニン」という物質が増え、脳はストレスに強くなり、リラックスしやすい状態を保ち、プラス思考になれる。(第376回より)
さらに、笑うとリンパ球の一種であるNK(ナチュラルキラー細胞)が活発に活動し、身体に入ってきた異物やウィルス、および癌細胞を攻撃すると言われている。
笑顔を作り、笑うことで活性化した血流は、細胞を活性化する神経伝達物質「神経ペプチド」を身体の隅々まで運ぶ。
この「神経ペプチド」のおかげでパワーアップしたNK(ナチュラルキラー細胞)が、免疫力を高めてくれるというわけや。
笑顔を作るということは営業だけやなく、自身の健康と精神の安定のためにもええというのが、これでよく分かる。(第376回より)
不法行為をしないという前提で言えば、どの勧誘方法が正解で、どの方法がダメだということはない。(第377回より)
どんな方法でも結果として成約にこぎつけることができれば、それが正しい勧誘方法ということになる。ただ、難しいのが、その方法が一つではないということや。(第377回より)
人類は言葉を得て話す能力に長けていたからこそ、高度な文明を持つ知的生命体になれたと言っても過言やない。(第379回より)
人類にとって話すことは大きな武器やと言える。ただ、話し方、言葉の使い方を間違えると、武器が凶器になる。(第379回より)
勧誘トークは常に次の言葉を出しやすい状況に持っていかなあかん。そうすれば相手に考える余裕を与えず客を自分のペースに嵌めることができる。(第379回より)
ご用聞き調のトークは、すぐに終わってしまうので頂けんが、客からの質問は、いくらでも話を膨らませていけるさかい歓迎できる。(第379回より)
新聞勧誘に極意というようなものがあるとすれば、相手をこちらの話に乗せて、気分を良くしてから落とすことやと、ワシは考えとる。(第379回より)
今の時代、不平や不満は必ず外部に知れ渡るし、漏れる。何事も暗黙裡に行えるというご時世やないのやが、残念ながら新聞社には、その事が分かっていない。(第380回より)
一般的に新しい勧誘方法をやらせようとする場合、それをすれば利益につながるという具体的な根拠と事例が必要や。それでないと勧誘員自身のやる気が湧かんさかいな。(第380回より)
できもせんことをできると言うのは「机上の空論」にすぎん。(第380回より)
そもそもスキル(技能)というのは経験から得られるもので誰もが最初から持っているものやない。自らやることでしか身につかんものやさかいな。(第380回より)
災害は時と場所を選ばない。いつ何時、どこにそれが起きるか予測することが難しい。しかし、災害は必ず起きる。それも突然に。(第380回より)
極端に議席の少ない野党では、どれだけ頑張っても強行採決を阻止することなどできん。(第381回より)
1万人近い憲法学者たちが、いくら口を揃えて『安全保障関連法案(安保法案)』は違憲だと声を張り上げようが、大規模な反対デモが起き、国民の大多数が反対していようと、そんなことにはお構いなしに政府与党の一存で、どんな法案、法律であっても決めてしまうことができるわけや。
最早、今の日本において国会の審議など、ただのセレモニーにすぎないと言うしかない。(第381回より)
国民の意思に反して『特定秘密保護法』が強行採決された事実を国民自身が忘れていなければ、選挙に行ってその無念な思いを晴らすことができたはずや。しかし、国民の多くが棄権したことにより、その機会を放棄してしまった。(第381回より)
『安全保障関連法案』の賛成、反対については、いずれの意見を持っても構わないと思う。どちらが良くて、どちらが悪いかを、ここで論じるつもりはない。
ただ、その正否は多くの国民の意志が反映された形で決めて欲しかったという思いが強いだけや。(第381回より)
高投票率の結果、選ばれた議員たちによって決めた法律なら、あきらめもつく。
しかし、低投票率で国民の3割が支持しただけの議員たちに強行採決されるというのは、どう考えても納得できん。(第381回より)
雑談に持っていく極意があるとすれば、多くの人の関心を引いている話題に話を引きずり込むことやと思う。(第381回より)
ワシは拡材だけで営業することには異を唱えてきた人間やが、何のサービスもなしにして、どれだけの勧誘員が契約を確保することができるのかを考えた場合、どうしても懐疑的な気持ちになる。そうしても良いだけの営業力のある勧誘員を養成できるのかと。(第382回より)
このままでは辞めていく勧誘員が確実に増える。実際に増えつつある。それが、どんな事態よりも新聞にとっては最大の危機になると考える。(第382回より)
誤報を認めたというくだりだけがクローズアップされている。誤報を認めとるのやから、すべてが間違いだったというロジックが成立するとして。(第383回より)
批判するのは構わない。ただ、どんな意見であっても封殺、黙殺するのはあかんと思う。(第383回より)
不運を嘆き、世の中を呪って、人を恨んでいるだけでは何事も好転することはない。苦境に立たされた時こそ、その人の真価が問われるのやと思う。(第383回より)
日本は言論と表現の自由が憲法で保障されていて、誰がどんな主義主張を持とうと不当に責められるいわれはない。政府を批判する者を取り締まって注意、指導しろというのは時代錯誤の愚挙に等しい行為と言うしかない。(第385回より)
なぜかは分からんが、勧誘の仕事は誰でもできるという考えが一般に蔓延しとるようや。どんなにしょうもない人間でもできると。(第386回より)
新聞の勧誘営業というのは妥協の要素が強い仕事や。明らかな違法行為とか不正というのはあかんが、許される範囲内やったら、それもあると認めなあかん場面が多い。(第386回より)
どんなことでもそうやが、最後に笑う者は、途中で絶対にあきらめん人間や。(第386回より)
勧誘営業は体力を必要とする頭脳労働者である。(第386回より)
一般の多くは新聞勧誘員を馬鹿にする傾向が強い。少なくとも自分より下やと見下している客が多い。それは、新聞勧誘員になるような者は学歴もなく頭の悪い人生の落伍者やという間違ったすり込み、思いこみのせいやと思う。(第386回より)
本当に賢い人間は、なるべくそう見られんようにする。場合によれば、アホを演じることさえある。人から賢いという風に見られるうちは、まだ本当の意味での賢さが身についていないと考えるべきや。(第386回より)
言葉というのは、たった一つ、一度聞いただけのものでも劇的にその人の人生を変えることもあるさかい、いろんな人の言葉に耳を傾けるのは損やないと思う。(第387回より)
一般の人が「新聞勧誘が悪質や」と思われるのは仕方ない。その事実も例え一部にしろあるのは間違いないさかいな。しかし、行政に携わる人間が、それに便乗して新聞勧誘の仕事を意図的に貶めるような行為は許されることやないと思う。(第388回より)
一般国民で、『2009年12月1日に施行開始された「特定商取引に関する法律」の改正法』の内容すべてを知っている者など、それこそ皆無に近いやろうと思う。
その法律の改正の必要性を提唱する人たちは、世間一般に広く知られているにも関わらず効果がないという前提に立っているのかも知れんが、そうであるなら、恐ろしいほどの認識不足の上に立って議論をしているとしか言いようがない。(第388回より)
最初から「勧誘行為は悪質」やという色眼鏡で見るようなことをしたらあかん。色つきの世界からは本当の景色など絶対に見えんさかいな。(第388回より)
真面目な新聞勧誘員にとっては、そんな法律や決まり事など知らなくても、あるいは、この先どのような厳しい法律が作られようとも、関係ないという気持ちの方が強いやろうと思う。
お客に嫌われない勧誘、もっと言えばお客のためになる勧誘を心がけてさえいれば、どんな法律にも触れるはずなどないと考えているさかいな。(第388回より)
何も言わず立ち去る勧誘員の存在に気づく人は誰もいないが、悪辣な輩の訪問は、すぐにそれと分かる。何も知らない人たちには、それがすべてに見えてしまうわけや。(第388回より)
アドバイスする立場からすると、気の向かない選択なら「止めておいた方がええ」と言うとくのが最も無難な答えやと思う。(第390回より)
誰かに話すことで気づくこともあるし、決断できることもある。気持ちも楽になる。進む道も見えてくるとワシは思う。その意味では今の世の中、ネットがある分、恵まれていると言えるのかも知れんな。(第390回より)
インターネットの普及に伴って新聞の価値と需要が下落気味なのは否定せんが、それでも情報ツールとしては今尚、トップの地位を占めていると確信しとる。ネット上において、未だにニュースと言えば大半が新聞記事の引用やさかいな。(第392回より)
独身若年者層への具体的なアプローチは、新聞を購読することで如何に得をしたと思わせることができるかがポイントになるということやな。(第392回より)
世界的にも優秀と言われていた昔の日本の子供は皆、普通に新聞を読んでいた。
(第392回より)
現在、単に勿体ないという理由から新聞の購読を止めている家庭も、子供の教育上、新聞を読むことが学力の向上に有利やと知れば、親御さんたちも再び新聞を購読しようかと考え直すのやないかと思う。(第392回より)
新聞の記事の中身については、いろいろと批判的な意見もあるとは思うが、事、文章力、伝達力、読解力に磨きをかけるという意味では、これほど優れた教材は他にないと断言できる。(第392回より)
新聞記事には、どんなに短い文章であっても文章作法の基本である「5W1H」、Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(なぜ)How(どのように)といったことがすべて書き込まれている。(第392回より)
現在、新聞の無読者が多いというても、日本人全体から見れば、まだまだ少数やと思う。せいぜいが若い世代の「スマホやネットで十分」と考えとる人たちくらいのものや。
その彼らは時代の最先端を走っているつもりかも知れんが、後発のさらに若い人たちが新聞を読むことで頭脳明晰になり、しっかりした文章を書くようになれば、いつの間にか取り残されていたということも十分考えられる。(第392回より)
成果は、それをやっていること自体が、そうやと思う。子供の夢を壊さないという以上の成果は世界中のどの機関、組織にも上げられるもんやない。(第393回より)
現実論から言うと、いかにサンタクロースが神に近い聖人で、例え乗っているトナカイが光速に迫るスピードで移動できたとしても、世界中に18億人以上もいる子供たちに、それぞれが希望するプレゼントを、たった一人、しかも一晩で配り切ることなんか不可能や。できるはずがない。
そのできるはずのないことが、できる方法が一つだけある。
それはサンタクロースと子供を愛するすべての親の心が同化することや。そして、それは現実に起きている。
親が寝た子の枕元にプレゼントを置く瞬間は間違いなく、心はサンタクロースに変身している。親の子を思う心がサンタクロースを生んだと言うても過言やない。
少なくともワシは、そう信じている。故に、サンタクロースは実在するとも信じている。(第393回より)
子を思う親の数だけサンタクロースが存在していると考えれば不可能なことも可能に思えてくるということや。それであれば、たった一晩で子供それぞれが希望するプレゼントを配ることくらい容易いもんやさかいな。実際にも、そうなっている。
その日、数十億ものサンタクロースになった魂が地球上を覆うわけや。クリスマスとは、そういう日でなかったら、あかん。(第393回より)
ネットはテレビやラジオと違い、見なければ、そこにアクセスしなければ分からない。勝手に耳目に入ってくるということはない。分からなければ、ないのと同じという理屈や。(第394回より)
新聞記事の内容をせっせと批判する人たちも新聞を読まないわけにはいかないというジレンマがある。いくら嫌いでも読まずに批判するわけにはいかんさかいな。
そういう人に限って新聞記事を隅から隅まで読んでいるわけや。新聞を批判している人たちが、実は一番熱心な新聞読者やという矛盾を抱えているという所以が、そこにある。(第394回より)
どんな状況であれ、現状をしっかり認識して把握する以外にはない。(第394回より)
これからの新聞購読者は、新聞記事の内容を鵜呑みにするのやなく、その裏に隠された事情、理由を読み解く力が求められるということやな。
難しく面倒臭い時代になったと言えなくもないが、その分、購読者たちが賢くなれるのであれば、それはそれで新聞も反面教師として役に立つのやないかとは考えるがな。(第394回より)
何事も、そうやが無理をせず、ありのままの方がええのやないかな。そこから生まれたものが本物やと。そんな気がする。(第396回より)
文章を書くのは難しい、苦手だと言われる人でもメールやブログ、SNSなどで比較的気楽に文章を書いているもんや。それ自体は悪くないし、問題もない。問題は、それを不特定多数の大勢が読む可能性が高いことを知らない、配慮していないという点や。(第397回より)
ワシらは友人、知人は守るものという気持ちが強いが、ネットの世界では、どうもそういう概念は希薄なようや。叩ける者は親でも叩けということらしい。
何か事があれば、一瞬で仲間だったと思っていた人たちから攻撃され、すべてを晒されてしまうのが、今の世の中なんやろうな。(第397回より)
文章、言葉を書くというのは、証拠を残しながら生活をしていることを意味する。言えば自動的に自白調書を自ら書いているようなもんやな。(第397回より)
冗談で書いた、つぶやいたつもりでも形として文章、言葉で残っていれば、そうはならない可能性の方が高い。(第397回より)
今の時代はSNSがある。有効に使えば、これほど便利なものはないが、安易に扱うと取り返しのつかんことになる。それこそ一瞬で奈落の底に叩き落とされるわけや。
そうなる原因は、幾つか考えられるが、一言で言えば「認識が甘い」ということになる。「危険が分からん幼児」と一緒やとも言える。(第397回より)
ハカセなどは20年以上も前からインターネットをしとるが、その頃から名前や個人情報をネットに晒す危険に気づいていたという。
いつか、こういう時が必ずくると。それもあり、このメルマガやサイトでは個人情報の扱いには神経を使ってきたわけや。(第397回より)
自分たちだけの内緒話を他の人間に聞かれる可能性がある。内容次第では、見ず知らずの人間から反感を買い、攻撃を受けるかも知れん。SNSには、そうなる危険性があると自覚して利用すべきやと思う。(第397回より)
例え、怪しいと思われても法律では『疑わしきは罰せず』の原則があるさかい、まず罪に問われることはないやろうと思う。
しかし、SNSでは違う。人の興味や好奇心は、疑わしきは非難、中傷に向かうさかいな。誰かが「悪質ないたずら」やと決めつけたら、その方向に多くの人たちが流れやすい。(第397回より)
SNSでは僅かな誤解が命取りになると考えといた方が、ええやろうと思う。しかも、それは否定すればするほどドツボに嵌ると。(第397回より)
一番無難なのは有名人についての記述はストレートに公開せんことやな。下手に、そうすると我が身の不幸、不運として返ってくる。人はそれを自業自得と言って笑うだけやしな。百害あって一利なしやと考えといた方がええ。(第397回より)
善人は何もしないが、悪人は常に誰かを狙っている。腹を空かせた肉食獣と一緒や。彼らの最高の獲物は、間違いなく個人情報を開示しとる人間や。(第397回より)
言い方は悪いかも知れんが、ネットの世界には悪人が巣くっていると考えといて、ちょうどええと思う。(第397回より)
騒音問題でトラブルになるケースというのは、お互いが理解し合っていない、交流がないといったことで相手を快く思っていない場合に起きると相場が決まっている。(第398回より)
普段仲の良い隣人同士とか知り合いであれば、少々の騒音くらいは笑って済ませられる。逆に僅かでも気に入らないと思っている相手やと、ちょっとした音でも迷惑、うるさいと感じてしまうもんや。(第398回より)
苦情には言いがかりに近いものが多いというのは、この業界に長くいとるさかい良う分かっとる。クレーマーも、そこら中にいとる。わけの分かん苦情を突きつけられることもあるやろう。
それでも敢えて言うが、その場所で新聞販売店を経営、または働く限りは何事についても一歩引き下がった対応をすることが賢いし、懸命な方法や。(第398回より)
メディアが事件の大きさを測るのは、それがどれだけ視聴者の注目を浴びるかという一点に絞られる。哀しいことやが、それが新聞を含む多くのメディアの偽らざる姿や。事の大小、重軽の判断は、それでしかしない。(第399回より)
気の弱い人は相手に対して申し訳ないと思えば思うほど、何も言えなくなってしまう状態に陥ることが、ままある。その事から逃げる、関わり合いを避けることで自身の精神的なバランスを保とうとするわけや。(第400回より)
以上や。
どうやったかな。何か感じるもの、共感できるもの、それは違うのやないかというもの、何でも良いので何か意見があれば教えて頂きたいと思う。
参考ページ
注1.第419回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 8』
http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage19-419.html
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