メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第423回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2016. 7.15


■改憲勢力が3分の2超になったことで憲法は改正される方向になるのか?


やはりと言うべきか、今回の参議院選挙も低投票率に終わった。戦後3番目に低かった前回2013年時の52.61%から54・70%と僅かながら伸びてはいるが、それでも戦後4番目の低投票率やった。

そのためもあり、多くの新聞、テレビメディアが予想したとおり与党の圧勝に終わった。

結果、憲法改正勢力が3分の2超え、憲法改正が現実味を帯びてきたと盛んに報じられている。

この事に敏感に反応された、ある読者から、


ゲンさん、ハカセさん、いつもメルマガを楽しみに拝見しています。

先日の参議院選挙で、改憲勢力が3分の2を超えてしまったということですが、本当にこのまま自民党の「憲法改正草案」(注1.巻末参考ページ参照)が成立するのでしょうか?

私は、古い憲法を見直して今の時代に即したものに変えること自体には反対しません。

しかし、自民党の「憲法改正草案」には絶対賛成できません。以前、メルマガでゲンさんが仰ってたように最悪のものです。

改憲勢力3分の2を超えてしまって、自民党の「憲法改正草案」が、このまま成立してしまうのかと考えると夜も眠れません。

これを阻止する何か良い方法はないのでしょうか? 教えてください。


というメールを頂いた。

『参議院選挙で、改憲勢力3分の2を超えてしまった』ことについては、


http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-160711X117.html より引用

改憲勢力3分の2超=首相、合意形成に意欲―自公大勝、改選過半数【16参院選】


 第24回参院選は10日投票が行われ、即日開票の結果、自民、公明両党と憲法改正に前向きな勢力が、改憲発議に必要な参院議席の3分の2(162)を超えた。

 これにより、発議に向けた議論が進展する可能性が出てきた。自公両党は安倍晋三首相が勝敗ラインに設定した改選過半数の61を上回り、民進党は改選45議席から大幅に後退した。

 首相は改憲について与野党の合意形成に意欲を表明するとともに、経済政策「アベノミクス」を加速させるため、2016年度第2次補正予算案を編成する方針を示した。

 首相は10日夜のテレビ番組で、改憲への取り組みについて「いよいよ憲法審査会に議論の場が移り、どの条文をどう変えていくか集約されていく」と説明。

「たくさんの方々の合意形成の中でなし得る」と述べ、丁寧に議論を進めていく考えを示した。アベノミクスに関しては「力強く今の経済政策を前に進めよとの国民の声だ。包括的で大胆な予算を組んでいく」と明言した。

「改憲勢力」と位置付けられる自公両党とおおさか維新の会は計75議席を獲得。これら3党と日本のこころを大切にする党の非改選議席計84に加え、改憲に賛成する非改選の諸派・無所属の4人と、自民党が追加公認した無所属1人で3分の2を上回った。衆院は自公が既に3分の2を占めている。

 選挙戦の焦点となった全国32の「1人区」は自民党が21勝、野党統一候補が11勝となった。

 自民党は改選数2?6の「複数区」でも順調に議席を伸ばし、比例代表も前回の18に並んだ。ただ、福島で岩城光英法相、沖縄で島尻安伊子沖縄担当相がそれぞれ落選した。公明党は改選議席を上回る14議席を確保した。

 民進党は選挙区と比例を合わせて31議席にとどまっている。岡田克也代表は記者会見で、首相が選挙戦で改憲に言及しなかったことについて「争点から逃げてしまい、かみ合わないまま終わった」と総括した。

 一方、共産党は6議席、おおさか維新は7議席に伸ばした。社民党は比例で1議席を確保したが、吉田忠智党首は落選が確実となった。無所属の野党統一候補は4議席となった。生活の党、こころ、新党改革は議席確保の見通しが立っていない。 


との報道記事がある。

その他の新聞報道やテレビ報道も、ほぼ似たような内容に終始している。

数字だけを見れば確かに、『自民、公明両党と憲法改正に前向きな勢力が、改憲発議に必要な参院議席の3分の2(162)を超えた』ことで、衆議院の3分の2の議席と合わせて憲法改正に向けた法案の発議ができ、可決させることが可能な状況にあると考えられる。

ただ、公明党、および憲法改正に前向きな勢力と言われる政党が、現在の自民党「憲法改正草案」をそのまま認めるようなことは、ないやろうと思う。

この方が『以前、メルマガでゲンさんが仰ってたように最悪のものです』と言われているように『第254回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■自民党憲法改正案の是非 その1 憲法第96条、および第9条の改正について』、『第255回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■自民党憲法改正案の是非 その2 基本的人権が危ない』(注2.巻末参考ページ参照)でも指摘したが、とても大多数の国民に受け容れられるものとは考えられんしな。

特に基本的人権に対する条項の変更が問題や。表面上は僅かな変更のようで大して変わっていないという印象を持たれる方もおられるかも知れんが、そこに大きな罠、落とし穴が潜んでいる。

その幾つかの例を、現『日本国憲法』と『自民党憲法改正案』を対比しながら説明する。


現『日本国憲法』

 第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。


『自民党憲法改正案』

(基本的人権の享有)
 第十一条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。


現『日本国憲法』で『妨げられない』、『現在及び将来の国民に与へられる』とあるのが、『自民党憲法改正案』ではきれいに削除されている。

『国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない』と『国民は、全ての基本的人権を享有する』という表現には明らかな差がある。

『妨げられない』は絶対的な意味を持つが、『享有する』というのは、単に表現を弱める狙い以上に、官僚が得意とする「霞ヶ関文学」の真骨頂とも言うべき附則事項を追加しやすくするための言い回しに外ならんと考える。

その先には『自民党憲法改正案』では『将来的には、さらに人権を制限していきたい』という思惑があるはずや。

『現在及び将来の国民に与へられる』というのも同じで、絶対に変えられないとしている表現を削除することで、変えられる余地を残そうとしているものと見て間違いない。


現『日本国憲法』

 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


『自民党憲法改正案』

(人としての尊重等)
 第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。


現『日本国憲法』では『個人として』となっているのが、『自民党憲法改正案』では単に『人として』となっている。この『個』という一文字が削除されている意味は大きい。

基本的人権とは説明するまでもなく個人に属する権利のことで、人というのは人間全般を表す時に使う文字や。

「人として」と語れるのは道徳や主義主張などの人の行為、行動に関する場合であって、基本的人権という権利について使うのは「個人」でなければならない。権利とは個人が有するものやさかいな。

つまり、この条文で『個』という一文字を取り去ることで、基本的人権そのものを否定していると読み取れることができる。『個人』を消してしもうとるわけやさかいな。

それを裏付けているのが、現『日本国憲法』で『公共の福祉に反しない限り』という部分が、『自民党憲法改正案』では『公益及び公の秩序に反しない限り』となっている点や。

『公共の福祉』と『公益及び公の秩序』とでは大きな違いがある。

『公共の福祉』とは、個別の利益に対して、多数の人々の利益を意味する。

個人の利益と社会の利益が矛盾する場合、両者の調和、調整が必要になるために『公共の福祉』という概念が必要になるわけや。

常識がその物差しになる。つまり『公共の福祉に反しない限り』とは、個人の権利が大多数の常識、および利益の前では限定されるということやな。

対して『公益及び公の秩序』はどうなのかということなるが、実は何を以て『公益』とするのかという定義自体が難しい。

公益とは、一言で言えば社会の利益のことやが、どの程度の組織、どのくらいの規模のコミュティ以上に、どのような利益が出れば公益とするのかといった定義には曖昧なところがある。

社会を構成する単位には、企業や団体などの組織、市町村、都道府県、国家まで幅広く存在する。

それらすべての利益を公益と呼ぶとすれば『公の秩序』の範囲もそれに準ずるものと考えられる。

つまり、『公益及び公の秩序に反しない限り』とは、企業や団体などの組織、市町村、都道府県、国家まで幅広く存在するものすべての利益や秩序に反する場合は、『国民の権利』は保証されないと言うてるのと同じになるわけや。

誰が、何が、その『公益及び公の秩序』とやらを決めるのか。そこに大きな問題があると思う。

企業に損失を出せば『国民の権利』が失われるのか、団体などの組織の不利益になれば『国民の権利』がないがしろにされてもいいのか、市町村、都道府県、国家に損失を与えれば『国民の権利』を主張できないのか、ということになる。

現在の常識をもとにする、現『日本国憲法』の『公共の福祉に反しない限り』では、そんなことは絶対にあり得ない。

しかし、『自民党憲法改正案』では『公益及び公の秩序』に反すれば『国民の権利』、つまり基本的人権は認めない、剥奪すると言うてるのに等しいことになる。

極端なことを言えば、国のトップ及び公的な機関が、曖昧な公益や公の秩序についての判断を盾に「あなたは公益や公の秩序に反しています」と言えば、その人の基本的人権など認めなくてもええということになるわけや。

突飛な主張やと言われるかも知れんが、そういった危険性を排除するべきやないと思う。

国民が官僚の「霞ヶ関文学」に対抗するには、裏を考えすぎ、邪知のしすぎくらいで、ちょうどええと考える。

『自民党憲法改正案』では、それらの文言に変えたとだけ記されているが、なぜ変えたのかまでは言及されていない。

現『日本国憲法』で『公共の福祉に反しない限り』という部分が、『自民党憲法改正案』では『公益及び公の秩序に反しない限り』となっているのは、どういう理由でそうなっているのかという点が、まるで説明されていないわけや。


現『日本国憲法』

 第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


『自民党憲法改正案』

(身体の拘束及び苦役からの自由)
 第十八条 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。

 2 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


この第十八条での問題は、現『日本国憲法』で『いかなる奴隷的拘束も受けない』とあったものが、『自民党憲法改正案』ではきれいに削除されている点や。

つまり、『自民党憲法改正案』では『いかなる奴隷的拘束』もあると示唆しているに等しいということになる。

また、現『日本国憲法』ではなかった文言が、『自民党憲法改正案』では『社会的又は経済的関係において身体を拘束されない』と追加された。

これは『社会的又は経済的関係』以外は身体の拘束もあり得ると解される。

もっとも、これに関してはあまりにも抽象的すぎる表現ではあるがな。『社会的又は経済的関係』というのが何を指すのかが、はっきりしない。

まあ、何でもアリやと考えれば、すべてが社会的な関係、経済的な関係と括れるさかい、国民の基本的人権など認めたくないという権力者にすれば都合のええ文言ではあるがな。

『自民党憲法改正案』の『社会的又は経済的関係において身体を拘束されない』という条文に関しては、多くの識者が政治的な拘束というのは軍隊への「徴兵制」を導入するために追加したのだと主張している。

現『日本国憲法』の『いかなる奴隷的拘束も受けない』という一文は、「徴兵制」を行うために邪魔になるから削除したのやと。

ワシらも、その意見、見方は正しいと考える。というか、それ以外に、その文言を削る理由、意味がないやろうと思う。

「徴兵制」というのは、まさしく望まない奴隷的苦役を強いられるものやさかいな。

「徴兵制」を推進する側としては、そんなものがあるのは困ると考え、削除したのやろうと思う。

現在、「徴兵制」を導入している国は、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スイス、ロシア、韓国、北朝鮮、イスラエル、トルコ、台湾、エジプト、マレーシア、シンガポール、ポーランド、カンボジア、ベトナム、タイなどがある。

但し、兵役拒否が法律で認められている国に、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、スイス、台湾、ロシアなどがある。

このうちの大半は、「徴兵制」の廃止を検討していて、近い将来なくす方向にあるという。ドイツ、スウェーデン、スイス、ノルウェー、ロシアなどが、そうや。

アメリカは志願制が定着しているため「徴兵制」がないのは知られているが、実は中国も「徴兵制」による兵士の増強はしていないのである。

中国は、法律上、兵役の義務はあるものの、実際には志願者だけで定員を補充しとるとのことや。

兵役拒否が一切認められない国は、韓国、北朝鮮だけやという。もっとも、その2国にしても特例で兵役免除するケースはあるようやがな。

一部の例外を除いて、世界の趨勢は「徴兵制」の廃止に向かいつつある時代に、自民党はなぜ憲法で「徴兵制」の導入が可能な条文を入れようとしとるのか理解に苦しむ。

法律全般に言えることやが、条文に書いてない事は「あり得る」可能性があり、条件付きの場合は、それ以外は「適用する」ケースもあるということを意味するものと考えて間違いない。

本当の狙いは条文に書いていない事の正反対、裏側にあり、条件付きの場合は、条件以外に、その法律を適用する目的が隠されている。そう理解して貰って構わんと思う。

『基本的人権が危ない』と、ワシが指摘する最たる理由が次の条文にある。


現『日本国憲法』

第十章 最高法規
 第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。


『自民党憲法改正案』

第十一章 最高法規

〔削除〕


現『日本国憲法』の『第九十七条』が、『自民党憲法改正案』では、まるごときれいに削除されている。

先ほど『本当の狙いは条文に書いていない事の正反対、裏側にあり』と言うたが、まさにこれが、その典型的なものやと言える。

現『日本国憲法』の『第九十七条』で、『日本国民に保障する基本的人権は……侵すことのできない永久の権利として信託されたものである』と断じているものを、すべて削除したというのは、『条文に書いていない』ことにしたいという意思の表れ以外の何ものでもないと考える。

その裏側にあるのは、『国民の基本的人権の否定』。それしかない。国民の基本的人権を尊重する意思が自民党政府にあれば、こんな暴挙とも言えることができるはずがないさかいな。

そして、『自民党憲法改正案』で、なぜそんな暴挙が行われたのかという説明はどこにもない。

これほど大きな事でありながら、新聞各紙、テレビ各局は、その一端すら報道していない。信じられんが事実や。

ただ、ネットに興味深い発言があった。

自民党の片山さつき議員が、自らも委員として作成に関わったという『自民党憲法改正案』について、自身のツイッターで、


国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。

国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!


と発言しているのが、それや。

片山さつき議員の言う『天賦人権論』とは、すべての人間は生まれながらに自由で平等な幸福を追求する権利を有するという思想のことを指す。

基本的人権のもとは、この『天賦人権論』にあると言える。ワシには人類の叡智が到達した理想的な思想に思えるがな。

片山さつき議員は、これを『義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう』と言って否定しているわけや。

一見、筋が通っているように見えて、これは何の脈絡もない論理と言うしかない。

ご本人は上手く、こじつけられた言い回しになったと考えとるのかも知れんが、あまりに稚拙すぎる。

駄文、悪文の類なら、その教養を疑うだけで済むが、その稚拙な発言に本音が垣間見えるさかい始末に悪い。

『義務は果たさなくていいと思ってしまうような』という発言が『自民党憲法改正案』の作成時のものであるということからすると、国民全体が、そうだという風に考えているとしか聞こえない。

それでは、あまりにも見識がなさすぎる、国民を知らなさすぎると言わざるを得ない。暴論の極みやと。

『義務は果たさなくていいと思ってしまうような』国民がすべてやと考えとるわけやさかいな。

当たり前やが、世の中には色々な人が混在していて社会、国家を形成しとる。

確かに片山さつき議員の言うように『義務は果たさなくていいと思ってしまうような』人間もおるやろう。

しかし、その反対に『義務を果たす』ことに生き甲斐と責任を持っている人も世の中には存在する。

また人により『義務』の捉え方も様々で、その人にとっての優先順位により、まちまちやさかい、一概に『義務』と言われても、その事柄次第で、それぞれの考え、立場によって重要度も違うてくるというのもあるしな。

どの程度が義務を果たしたことになり、どういうケースが『義務は果たさなくていいと思ってしまう』と判断するのかという問題もある。

人を一括りにすることなど、誰にもできん。そんな表現も日本語にはない。十人十色、百人百様、千差万別が人の本質やさかいな。

世の中には色々な人がいて、当たり前なわけや。そんな単純なことが分からんのかと思う。

もっとも、『義務は果たさなくていいと思ってしまうような』人間が大半を占め、そのすべてを天賦人権論者に仕立てなくては『自民党憲法改正案』の正当性が主張できんと考えたのかも知れんがな。

どうであれ、その考えが『自民党憲法改正案』の根底にあったということが分かったのは収穫やった。

そういった考えのもとで『自民党憲法改正案』が作られたのなら、納得できる部分も多い。

これは『自民党憲法改正案』の立案者、関係者の弁やから、それなりに意味のある発言やと思う。

憲法改正を口にしながら、その内容には堅く口を閉じている自民党議員が多いさかいな。

少なくともワシには、そうとしか見えん。

ただ、口で何も語らずとも自民党のホームページに『自民党憲法改正案』があるわけやから、それを見れば一目瞭然ではあるがな。

今回、『自民党憲法改正案』を検証していて、自民党は人権を否定したい、国民の権利を縮小したいのやなということが、よく分かった。

ワシらは基本的人権が脅かされ、自由が制限されるのは真っ平ごめんやさかい、『自民党憲法改正案』には断固反対の姿勢を、ここではっきりと表明させて頂く。

まだまだ、これと類似のものは数多くある。

本来、憲法というものは為政者の行動を縛り制限するためのものでなかったらあかんはずやが、『自民党憲法改正案』では、ことごとく国民を権利や自由を縛るための文言に置き換えられているわけや。

為政者が統治しやすくするために。

この『自民党憲法改正案』が堂々とHP上で発表されて4年ほどが経過するが、残念ながら、今に至っても、その内容と実情が深く知られていない。これほど怖いことはないと思う。

もっとも、これは自民党が野党時代に考えた草案で実際には、政権与党となった現在、これから手を加えて修正、あるいは議論を重ねて決めるということのようやから、現時点で、この自民党の「憲法改正草案」を批判するのは適切やないかも知れんがな。

ただ、安倍総理を中心とする自民党政府は憲法改正に、かなり前のめりになっているのは間違いないと思う。

もちろん、そう言い切れる根拠はある。

『第417回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道の危機……その6 書籍『日本会議の研究』への出版停止問題について』(注3.巻末参考ページ参照)で、日本会議について話したのが、それや。

「日本会議」とは、199年5月30日に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」とが統合して組織されたものやという。

表面上は市民団体、国民運動団体ということになっているが政府側の政治団体に限りなく近い組織やと言える。

「日本会議」の会員メンバーには現、安倍晋三総理大臣、麻生太郎副総理兼外務大臣ら現内閣の大半の大臣、および谷垣禎一自由民主党幹事長といった誰でも知っている自民党与党の重鎮らがずらりと名を連ねていることからも、それがよく分かるやろうと思う。

その「日本会議」の関連機関である「日本協議会・日本青年協議会」が発行している月刊誌「祖国と青年」平成27年4月号(注4.巻末参考ページ参照)に「改憲戦艦ヤマト」と題された漫画が掲載されている。

言わずと知れた人気漫画「宇宙戦艦ヤマト」のパロディやが、これが実にふざけとる。くだらんが、一応説明しとく。

艦長が「改憲砲発射用意!!」と号令をかけるところから始まる。

「ターゲット・スコープ・オープン」と言って「祖国と青年」の「憲法の時間です!」の「青木協子」なる主要女性キャラクターが、波動砲ならぬ改憲砲のスコープを覗き、「デス将軍」率いる「護憲艦隊」に照準を合わせる。

それと察知した「デス将軍」が、「全砲門を開けっ! ヤマトを沈めよっ!」と命じ、一斉攻撃が加えられヤマトが被弾する。

青木協子は機関士に「賛同者エネルギーはまだなの?」と訊く。機関士は「300万、400万、500万! 改憲砲撃てます!」と答えるが、「まだだっ! ここで一気に片を付ける!」と艦長が止める。

「しかし、このままでは、こちらが先に……」と不安げな様子を見せる。攻撃を受けながらも「600万、700万、800万、900万」とカウントが進み、ついに「1000万っっ!」の声と同時に、「よしっ、撃てっ!」と艦長が命令すると「改憲砲発射!」と青木協子が叫び、引き金を引く。

それにより「護憲艦隊」は全滅し、ヤマトの乗組員たちが狂喜する。

「見たかっ! 1000万賛同者のエネルギーの威力を!」と青木協子が言い、傍らで艦長が「さあ、旅はまだ続くぞ。憲法改正をこの手につかむ、その日までヤマトの旅は終わらない」と言う。

そして、最後に去りゆくヤマトの後方から「憲法改正まで、後480日―」という文字が表れ終わる。

この漫画が発表された月刊誌「祖国と青年」平成27年4月号の発売日は4月1日で、それから480日後と言えば、今年の平成28年7月25日や。

半数の参議院議員が任期を満了する日で、この日まで参議院選挙が実施され、改憲発議に必要な3分の2を確保しようという狙いが込められていたわけや。

ちなみに「1000万賛同者のエネルギー」というのは、この年の国民会議の目標としている運動で、1000万人の賛同者が得られたら改憲発議に必要な3分の2の議席が得られるはずとの思惑で設定された数字のようや。

そして、本当に1000万人の賛同者が得られたのか、どうかまでは分からんが、現実に改憲勢力が3分の2を超えた。

それからすると、自民党与党、および日本会議の狙いどおりやったと言えるのかというと、どうもそうやないらしい。

新聞やテレビなどのマスメディアが当たり前のように使っている「改憲勢力」は、必ずしも同じ方向を向いている政党ばかりとは限らないということがあるからや。

「改憲勢力」というのは、自民党、公明党、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党の4党を指しているわけやが、憲法改正についてはそれぞれで立場や主張に違いがある。

公明党は、従来から「加憲」という立場を主張していて、具体的な憲法の改正項目は示していない。むしろ改憲には慎重なスタンスを取り続けていると言える。

おおさか維新の会の改正案は、教育無償化、統治機構改革、憲法裁判所の設置の3項目で、自民党の憲法改正草案との共通項は今のところない。

特に自民党が最もやりたい憲法9条の変更については、公明党やおおさか維新の会は消極的や。そのため、自民党も性急な憲法改正の発議をするつもりはないようや。

というか、したくてもできん状況にあると言うた方が正しいと思う。

今回の参議院選挙の結果だけを見ると与党自民党の圧勝のように思われがちやが、実際は完勝とは言えないというのが自民党の偽らざる気持ちやないやろうかと考える。

本音は、自民党与党だけで3分の2の議席を得たかったと。

そして、その大勝をもとに衆議院の解散に打って出て、衆議院でも自民党単独で3分の2の議席を獲得して堂々と憲法改正の発議をして国民投票に持ち込みたかったと。

今回の選挙では、自民党自身が憲法改正を争点にしなかったことから、憲法議論は始めるかも知れんが、性急な改正発議はないと見た方が、ええやろうと思う。

今回の選挙では、現職の大臣が2人も落選し、1人区でも野党共闘がそれなりに機能して自民党の目論見が狂っている。

低投票率で、それやのに、投票率が上がると現状の勢力維持自体も危うくなる。

実際、大勝しているとは言うても、野党に転落して惨敗した2009年時の総選挙での得票数より、今回の方が、はるかに少ないわけやしな。

つまり、現在の状況は多くの国民に信任されたというより、政治に興味を示さなくなった人が増え、低投票率になった結果にすぎんということや。

このままやと、いつ何時、あの頃の民主党のような勢力が台頭してきて、その座を奪われるかも知れん。まさに薄氷の上に立っているのが、現在の自民党与党やないかと思う。低投票率に支えられているだけの。

もっとも、それと気づいている、危惧している自民党の議員は少ないようやがな。

ただ今後、憲法論議が行われることで真剣に憲法について考える人が確実に増加するはずやから、次に憲法改正を争点として選挙が行われたら、かなり厳しいことになるやろうという気がする。

人は我が身に降りかかる問題については敏感に反応するさかいな。

そして、自民党の「憲法改正草案」は知れば知るほど、国民の基本的人権が制限される内容になっているものが多いということに国民が気づくはずやから、それについて拒否反応を示すだろうことは容易に想像できる。

原発の再稼働問題や強行採決された安全保障関連法案時以上の大規模な反対運動が湧き起こるのは、ほぼ確実やと思われる。

そうなると、改憲勢力と呼ばれている政党も迂闊に自民党の「憲法改正草案」に乗れなくなる。そんなことをすれば国民全体を敵に回しかねんさかいな。

加えて、国民投票法上、憲法の全面改正ができにくいということがある。

自民党の憲法改正草案は、全面改正になっているため、事実上、そのままの改正案が成立することなど、ほぼ不可能やと言うてもええ。

2007年に制定された国民投票法では、改正項目ごとに賛否を問う個別投票方式ということになっている。

つまり、「自主憲法制定」を前提として全面憲法改正を目指している現行の自民党「憲法改正草案」では発議の資格すらないわけや。あまりにも項目が多すぎるさかいな。

もっとも、一度の改正発議で複数の条文を対象にすることは可能やが、それであったとしても個別の条文毎に賛否を問わなければならないとされている。

しかも、一度に国民投票にかけられる改正案は、せいぜい3〜5項目程度までと限定されている。

それが順調に行われたとして、一度の国民投票に持ち込むまで、国会の合同審査会、改正原案の審議と作成、原案の条文起草、原案提出後、憲法審査会で審議が尽くされ、最終的に衆参それぞれの総議員の3分の2以上が改正案に賛成する必要があり、

さらに国民投票をするには2〜6ヶ月間の周知期間を設けなければならないと決められているから、よほど性急に事を運んだとしても数年程度は悠にかかるものと思われる。

それも1回の国民投票で3〜5項目程度やから、100条以上もある自民党の憲法改正草案すべてを改正しようとすれば、早くても10年から20年くらいは必要や。

それも発議ができる3分の2を有している状態が延々と続いてという条件付きやから、その間に情勢が変わり、選挙に負けてしまうと、その数字を割り込み発議すらできなくなる。

今回の参議院選挙で、自民党が憲法改正を争点にして戦うのを避けた理由は、まさしく、その1点に尽きると思う。

憲法改正を争点にすると選挙は勝てないと判断して。結果的に、その判断は正しかったと言える。野党が共闘して勝った1人区では例外なく「憲法改正危機」を煽っていたさかいな。

また、改憲そのものを安倍内閣が主導できるかのような印象を与える報道が目立っているが、内閣は憲法改正原案を提出できないと決められていて、実際に安倍内閣が関与できる部分は殆どないと言うてもええ。

以上のような状況から、『改憲勢力3分の2を超えてしまって、自民党の「憲法改正草案」が、このまま成立してしまうのかと考えると夜も眠れません』というのは杞憂に終わる公算の方が大やと思う。

『これを阻止する何か良い方法はないのでしょうか?』というのも、今のままでは自民党の「憲法改正草案」が成立することの方が難しい状況やさかい、それほど心配せんでもええのと違うかな。

ただ、自民党、中でも日本会議に参加している面々は自民党の「憲法改正草案」成立に執念を燃やしているという話を聞くさかい、どんな奇策、手を打ってくるか分からんということがあるので、その動向には注視する必要があるとは思うがな。

何しろ、およそ無理な憲法解釈を、いとも簡単に変更して、強引に強行採決に持ち込むような連中ばかりやさかいな。

今回の読者からの質問に関する答えなら、そういうことやが、現行の自民党「憲法改正草案」のような改悪案ではなく国民のために改良される改正案なら、憲法改正論議は大いに戦わせるべきやと思う。

戦後、日本が主権を回復したサンフランシスコ講和条約から65年以上もの長い間、憲法の改正がなされていないから、そろそろ時代に即したものに変えるべきやという議論が出るのは、むしろ自然な流れやと考える。

現在の日本国憲法は、戦争放棄を柱とした戦勝国の押しつけが強いため、中国や北朝鮮などへの軍事的な脅威に対抗できる憲法に変える必要があるという意見が増えつつあるのも理解できる。

反対に、現在の日本国憲法は、戦争放棄を謳った平和憲法であるが故に、日本は平和を65年以上も維持できたのだから、今後も今の憲法を守り続けるべきだという主張も日本国民の間には、まだまだ根強いものがある。

これは、どちらが正しくて、どちらが間違っているという単純な問題やない。十分な議論が尽くされる中で、国民の一人一人が深く考えなあかんことやと思う。

また国会では十分な議論を尽くし、改憲するにせよ、しないにせよ、多くの国民に納得して貰える答えを示す必要があると考える。

この憲法改正問題は、すべての日本国民にとって重要な問題やさかい、今後も何かあれば、ここで話したいと思う。



参考ページ

注1.自民党の「憲法改正草案」
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html

注2.第254回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■自民党憲法改正案の是非 その1 憲法第96条、および第9条の改正について
http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage19-254.html

注3.第417回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道の危機……その6 書籍『日本会議の研究』への出版停止問題について
http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage19-417.html

注4.月刊誌「祖国と青年」4月号、漫画「改憲戦艦ヤマト」
http://ameblo.jp/seikyou40/entry-12015073999.html


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