メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第352回 ゲンさんの新聞業界裏話

発行日 2015. 3. 6


■ネットの危険 その4 ネットの晒し行為は犯罪になる?


ある読者の方から、


いつも楽しくメルマガを拝見しています。

私は、ゲンさんやハカセさんが公人以外の一般人の実名をさらさないという姿勢に共感します。

しかし、最近、ブログやツイッターなどで、未成年者が犯した殺人事件の容疑者が実名でさらされている記事をやたらと目にします。

▼<川崎中1殺害>ネットに「容疑者」情報…名誉毀損の可能性
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150302-00000055-mai-soci

というニュースなんかは、その典型ではないでしょうか。

これについて、新聞との相違点などを中心にゲンさんとハカセさんのご意見を聞かせていただけないでしょうか?

宜しくお願いします。


というメールが寄せられた。

この読者の言われるニュースというのは、


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150302-00000055-mai-soci より引用


<川崎中1殺害>ネットに「容疑者」情報…名誉毀損の可能性


 川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)が刺殺体で見つかった事件で、発生直後からインターネット上に「犯人」に関する情報が書き込まれた。

 今回の事件で逮捕されていない複数の人物の実名が名指しされる事態になっており、専門家は「名誉毀損(きそん)に当たる可能性があり、訴訟リスクを負うことになる」と指摘している。

【上村遼太さんの母親コメント全文】「残忍…涙が止まりません」

「犯人情報」「犯人特定」。2月20日の事件発生後、インターネット上には実名や顔写真、住所などの情報が次々と掲載された。

 情報が次々とコピーされ拡散が続き、「容疑者」として10人近い人が実名で名指しされている。

「誤った情報の可能性がある」と断っているが、実名を載せた同じような情報の書き込みは複数のサイトに残ったままになっている。

 ツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でも拡散は止まらない。

 本人だけでなく、家族だとする写真も出回り、掲載されている。関係者を語る人物もいたが、真偽が不確かな書き込みが多いのが実情だ。

 ネット上の書き込み問題に詳しい深澤諭史弁護士は、少年事件にもかかわらず「個人の名誉に関わる情報があまりに気軽に書き込まれている」と話す。

「この事件と関係の無い人物を犯人と名指しした場合、関係者が訴えれば書き込んだ本人、情報をまとめた人物がプライバシー侵害や名誉毀損に当たる可能性がある。

仮に事実であったとしても(加害少年の特定につながる実名などの報道を禁止する)少年法の条項もあり、ネット上だけ実名でいいということにはならない」と説明。

 さらに「自分が直接書き込まず、コピーやリンクしただけであったとしても名誉毀損に当たるリスクは残る」と指摘する。

 事件に関して真偽不確かな情報が際限なく広がっていくネットの世界。対策はあるのか。

 深澤弁護士は「ネット上で『殺す』『爆破する』という書き込みが大幅に減ってきた。関係機関が取り締まってきたからだ。表現の自由は大事だが、無制限ではない。犯罪を憎むという感情は正しいと思うが、それでネット上に『さらす』行為を正当化することはできない。リスクがある行為だと繰り返し伝えていく必要がある」と話している。


のことやが、この記事にあるとおりやとすると、かなり深刻な状況に陥っていると言える。

以前、当メルマガ『第335回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ネットの危険 その3 加速するネット社会の私刑化について』(注1.巻末参考ページ参照)
の中で、


ネット上では、「犯人がプライバシーで守られるのも変な話」「万引き被害者の心情としたら(顔写真公開も)理解できる」「悪い人を追及するのがなぜいけないのか意味が分からない」などと、肯定的な意見も少なくない。

と、あることについて共感を覚える読者の方もおられると思う。

犯罪を起こした者を晒して何が悪いのかと。そうすることで犯罪の抑止力になるのやないかと。

現在、ネット上では個人が自由に発信できるということもあり、犯罪行為をした人間を晒して責める人たちが増えている。

その犯罪者の個人情報を入手して公開している者も多い。

そうすることのリスク、危険について深く考えることもなく、犯罪者を晒すことが正義だと考え、錯覚する者が増えているように思えてならない。

中略。

日本は法治国家やが、このままやとネット上は無法地帯と化しかねない。

時代の最先端のはずのネットが、15世紀頃のヨーロッパ中世でフェーデやアハトと呼ばれていた私刑、18世紀のアメリカ・バージニア州でウイリアム・リンチ大佐の私刑が行われていたように時代に逆行することになるのやないかと。

それらの時代に共通した教訓として「私刑(リンチ)」はあかんさかい止めようということになったわけや。

民主的な法律が整備されたのは、その事があったからやと言うても過言やないしな。

法律を犯した者や犯罪者を取り締まるのは警察で、司法がその罪の是非を判断することになっている。一般市民は、それらの機関に委ねるしかない。

それが民主主義国家、法治国家というものや。

いくら悪質な犯罪者がいようと、「悪いやっちゃな」と考える程度にして、具体的な制裁を加えるような行動を起こしたらあかん。

個人的な制裁は私刑になり、そのこと自体が犯罪になることも多い。犯罪者を責めて自らが犯罪に手を染めるほど馬鹿げたことはないさかいな。

しかし、そんな単純なことが分かっていない者が、ネットの世界には、あまりにも多い。


と言うたのは、つい4ヶ月ほど前やったが、その頃と比べても加速度的な勢いで『晒し行為』よる『私刑』が蔓延しているような気がしてならん。

どうにも歯止めが効かなくなっていると。

その『晒し行為』よる『私刑』をやっている人間からすれば正義の行いをしているつもりなのやろうと思う。

しかし、それらの人間に、そうする権利や資格がどこにあるのやろうか。

特に今回の場合は、『情報が次々とコピーされ拡散が続き、「容疑者」として10人近い人が実名で名指しされている』ということで、明らかに事件とは無関係な人たちが確実に含まれているものと思われる。

その人たちが、勝手に名前や写真をネット上に晒されることで、これから先の人生にどれだけの不利益を被ることになるのか。

そういったことなど考えもせず、「正義」という名のもとに事件を面白がって煽っているだけにしかすぎんと思う。

自身の書く文章、写真や動画をアップする行為が多くの人の目に触れることで、社会にどれだけの影響を及ぼすかなど考えもしない、というか考える力もない幼稚な精神構造しか持ち合わせていないのやさかい、そういうことができるわけやけどな。

せめて自身が、ありもしないことを書き立てられ世間から阻害されたら、どんな思いをするやろうかというくらいのことは想像して欲しい。

実際、ネット上に名前を掲載された人の苦悩について、6年前の2009年4月3日の当メルマガ『第43回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞報道とネット社会の今 その1 消せない過去の記録』(注2.巻末参考ページ参照)で、


一人の男が、ほんの出来心から、ある店で万引きをし、逃げようとした際、そこの店員と取っ組み合いになり、はずみで全治3ヶ月の重傷を負わせてしまった。

結果、強盗致傷罪に問われることになり、5年弱の間、某刑務所に収監された。

男は服役していた刑務所出所して、奥さんと二人で人生をやり直そうと真面目に働いて頑張っていた。

ある時、その人の住んでいた賃貸住宅の大家が、何気なくその人の名前をネットで検索して、男に犯罪歴があることを知り、そこを追い出されたことがあった。

しかも、その大家は、男が勤めていた会社にまで通報したことで、その会社も解雇された。

一度、何かの事件を起こして新聞などのメディアで実名報道されると、それがネット上で半永久的に残り、果てしなく拡がっていく可能性がある。

昔から新聞などのメディアで実名報道というのは恒常的に行われとったことやが、例えそうであっても、よほどの大事件の容疑者か、もしくは近隣に住んでいて、その人間を良く知っている者以外は、そんな名前をいつまでも覚えていることの方が少ない。

たいていは、すぐ忘れる。人の噂も七十五日。という格言がそのまま活きていたわけや。

ところが、ネット社会ではそうはいかん。

その報道記事はいつまでも残り、それを題材にしたHPやブログが果てしなく増大していく。

しかも、それが本当に犯人かどうか、えん罪かどうかに関係なく、単に「容疑者」として逮捕されたという事実だけで、そうなるわけや。

これは、ある意味、途方もなく怖い世界が訪れたのやないかという気がする。

例え、それが、後に、えん罪やった、間違いやったと判明しても、逮捕されて実名報道されたという事実が、ネット上に流れた時点で、もう誰にも止めようがなくなる。


という話をして、現在のような社会になることを危惧していたが、本当にそうなってしもうたようや。

ちなみに、その当事者には、


それなら、どうしようもないのかというと、そうでもない。どんなに過酷な状況であろうと、それを切り抜ける方法はいくらでもある。

あんたのケースで言えば、「その犯人か」と尋ねられたら、「違う。それは同姓同名の人間の仕業で、えらい迷惑してねん」と言うてごまかすのも手や。

「何や、ウソをつけということか」と、思われるかも知れんが、これに対処するには、それくらいしか対抗策がないのやないかと思う。

自分の生活を守ろうと思えば、名前の検索などで疑惑を持たれたとしても確証を相手に与えたらあかんということや。

確証を与えたら、今回のように「退去」を迫られ「辞職」せざるを得ん状況に追い込まれるさかいな。


というアドバイスをした。

これについては、賛否両論あるものと思う。ワシも、ごまかすというのが最良の方法とは考えてない。

ただ、正直に話すことがええとも言えんというのも確かや。言えば、大きな災いを避けるための緊急避難的な発想やな。

それが、ええか悪いかは、それぞれが考えて判断してくれたらええ。

その後、読者の方からの反応は概ね好意的やった。「ウソも方便」を支持してくれる人が多かった。

その次の回のメルマガ『第44回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞報道とネット社会の今 その2 実名報道の功罪』(注3.巻末参考ページ参照)で、ハカセが、間違った報道やネット上の記事に対抗する手段として、


「つまり、その人が本当に、えん罪だったり、不起訴だったりした場合、その被疑者、容疑者にされたことで失った名誉の回復を同じネット上でするのです」

ここからが、前回の終わりに「この問題に関して、ハカセにええ提案がある」と言うたことの核心になる。

「具体的にはネット上に、その実名報道の継続記事を書くんですよ」

ハカセの発想は、報道機関がその続報を掲載せんのなら、自らがその事実を告白して記事にし、それをネットの検索にヒットさせるというものや。

そうすることで、少なくとも、その犯罪歴を調べようとしとる人間にもその記事が目に止まる可能性も増える。

また、「あんたは、○○事件の容疑者になっとるな」と疑われた場合でも、「いや、それは、無実ですよ」と言うて、その記事を示すことにより反論することもできる。

そうすれば、その疑いを晴らして誤解を解くことも可能やないかという。

但し、問題もある。

それは、個人でそうするのは文章を書き慣れてない人にとっては、大変な労力を要するということや。

それが簡単なことなら、すでにブログやHPでそうした記事が掲載されとるはずやが、現実には、そういうものはあまり見当たらんさかいな。

もっとも、例え、そうしていたとしても、その個人のブログやHPが、検索の上位でヒットせんもんやったら気づかれにくいということもある。

「そこで、その希望があれば、私たちのサイトに新たにそういうコーナーを設置して公表したらどうかと考えたわけです」と、ハカセは言う。


と提案して、希望者があれば、その後の記事をハカセが書くつもりにしていたが、
結局希望者はゼロやった。

その方法論を示しただけで終わったが、それはそれで良かったと思う。少なくとも、そうすることで希望を持てるさかいな。

ただ、懸念もある。

今回の事件の場合は、少年法第61条で、


家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。


という規定があるため、新聞やテレビなどのメディアでは少年の個人情報は公開されていないが、ネット上のブログ記事やツイッターへの書き込み、ラインでのやり取りで、容疑者の個人情報が平気で晒されている。

それらの行為に関して少年法第61条が適用されるのか、どうかというのは微妙なところやろうと思う。

少年法第61条は『当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない』と規定しているだけで、『ネット上のブログ記事やツイッターへの書き込み、ラインでのやり取りに関して』には何も触れられていない、規定されていないさかいな。

法律で規定されていないものに対しては、その罪により裁かれることはない。

もっとも、少年法が規定されたのは昭和23年7月15日で、その頃はインターネットなど欠片も誕生していなかったさかい、『その他の出版物』と規定していれば、すべてに適用されると当時は考えたのやろうがな。

その法律の文言を、どのように拡大解釈しようと、ネット上の個人的な記事を『出版物』とするには無理があるように思う。

さらに言えば、この少年法第61条には罰則規定がないということもある。違反行為ではあるが、罰しませんよということや。

趣旨としては、「報道関係者の良心にお任せします」ということになっている。

それであれば、ネットで名前を晒す行為を責められないとなる。

そのため『ネットに「容疑者」情報…名誉毀損の可能性』の記事では、敢えて少年法第61条には触れず、

『今回の事件で逮捕されていない複数の人物の実名が名指しされる事態になっており、専門家は「名誉毀損(きそん)に当たる可能性があり、訴訟リスクを負うことになる」と指摘している』

という表現に止めているのやろうと思う。

名誉毀損罪の成立には少年法第61条のような制限は特にないから、ネット上の記事も含めて、すべてがその対象になる。

『今回の事件で逮捕されていない複数の人物』が告訴すれば、ネット上でそれを発信、もしくは拡散した者が処罰される。

ちなみに、これには『3年以下の懲役若しくは禁錮または50万円以下の罰金』が課せられるとある。

これに加えて民事訴訟で、その賠償金を請求される可能性があると。

記事では、その危険を訴えて名前を晒すことの愚について語っているわけやが、どれだけの人が、そのことを真剣に捉えているやろうかと思う。

おそらく、一人もおらんやろうな。真剣に考えていたら、そんなことができるはずがないしな。

むしろ、それに同調する人が多いということで、「我が意を得たり」と安心しとるのやないかな。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な発想で。

ここにきて、少年法第61条で禁止されている『その他の出版物』の範疇である週刊誌が、その容疑者である未成年者の名前と顔写真を掲載する事例が増えている。もっとも、今はまだ特定の週刊誌だけやが。

今回の事件に関しても、


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150304-00000071-mai-soci より引用


<川崎中1殺害>週刊新潮が18歳少年の実名と顔写真掲載

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 川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)の刺殺体が見つかった事件で、5日発売の「週刊新潮」が、殺人容疑で逮捕されたリーダー格の少年(18)の実名と顔写真を掲載していることが分かった。

【リンクだけでも名誉毀損の可能性】川崎中1殺害:ネットに「容疑者」情報拡散

 記事は、18歳の少年の生い立ちやこれまでの問題行動などをまとめた内容。顔写真は少年のツイッター上の写真を友人らに確認して掲載したとしている。

 週刊新潮編集部は毎日新聞の取材に「事件の残虐性と社会に与えた影響の大きさ、18歳の少年の経歴などを総合的に勘案し、実名と顔写真を報道しました」とのコメントを出した。

「インターネット上に早くから実名と顔写真が流布し、少年法が形骸化していると言わざるを得ない状況も検討、考慮した」としている。


という記事がある。

早速、書店で当該の週刊誌を読んだが、『インターネット上に早くから実名と顔写真が流布し、少年法が形骸化していると言わざるを得ない状況』だから、法律を破って記事を掲載しても良いというのは、個人的には違うと思う。

『検討、考慮した』と如何にも、苦渋の選択をしたという風な印象を与えているが、結局のところ、それをすればその週刊誌が売れるからやというのが本音のような気がする。

加えて、他の週刊誌を出し抜けるということもあるのかも知れんな。

書店の開店時間に合わせて行くと、いつもの2、3倍の量の当該の週刊誌が積み上げられていた。相当売れるという目算があるというのが、それで分かる。

ワシやハカセは、そのページに目を通しただけで買うことはなかったがな。

それなりに取材したとのことやが、ワシらが目を通した印象では、ネット上の記事と大差ないものやったと感じた。

それであれば『インターネット上に早くから実名と顔写真が流布し、少年法が形骸化していると言わざるを得ない状況』と言っている意味が、よく分かる。

似たような写真や記事になっていたとしても仕方がないと。

今日現在、今回の事件の容疑者たちの実名が載ったページは、ある一つのキーワードだけでもネットの検索で300万件近くもヒットする。他のキーワードを加えたら、どのくらいになるのか想像もつかないほど多いはずや。

垂れ流しと言うには度の過ぎた現象やと思う。

ざっと見ただけなんで確実なことは言えんが、それをネットにアップしている者たちの大半が若い人たちやった。

一部の人間だけが、そんなことをしとるのというのなら、「アホなことをするもんやな」と言って済ますこともできるが、それに同調する若い人たちが、それだけ多いというのは何か薄ら寒いものを感じて怖い。

その点、新聞の記事は、そういった法律違反をするようなケースは殆どない。

少年法第61条にいくら罰則規定がないといっても厳格に、それを守ってきた。これからも、それは変わらんはずや。

新聞の記事についてはネット上で、いろいろと批判も多いが、少なくとも無責任に書くことは、まずない。

記事になるまでには編集や校正に携わる多くの人たちの手が入り、厳重に内容の審査、確認が為されている。

一言で言えば、新聞社は威信をかけて記事にしているわけや。ええ加減な判断で書かれている記事は皆無やと言うてもええ。

ワシらも、たまに新聞記事の内容について突っ込み、批判的な話をすることもあるが、その前提の部分では評価しとるし、認めとる。

もっとも、せやからこそ、新聞は間違いのないものとして堂々と胸を張って売り込めるわけやけどな。

しかし、ネット上のブログやツイッター、ラインなどで垂れ流されている情報には、そういうものが感じられない。意識すらしていないはずや。

無責任に思いつきや勢いで書いているようなものばかりが目立つ。

素人さんが書いているのやから仕方ないと言えば、それまでなんやが、果たしてそれでええのやろうかと思う。

本当の意味で、ネットが新聞に取って変わろうとするのなら、やはり発信者一人一人が、書くことの重大性を認識して、書いてええ事と悪い事の区別ができるようにならんとあかん。

それが成熟したネット社会ということになる。

残念ながら、このままでは、いつまで経っても、そうはならんし、新聞との差が益々広がると思うのやけどな。



参考ページ

注1.第335回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ネットの危険 その3 加速するネット社会の私刑化について
http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage19-335.html

注2.第43回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞報道とネット社会の今 その1 消せない過去の記録
http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage19-43.html

注3.第44回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞報道とネット社会の今 その2 実名報道の功罪
http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage19-44.html


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