拡張員の1日
since.2004.7 3 更新2006.1. 1


拡張の営業は、各新聞社、各拡張団、各販売所、各地域、あるいは季節、日時、気候によってそれぞれ違う。

例えて言えば麻雀や。ゲームとしての麻雀は牌や点棒、サイコロを使うのはどこでも一緒やが、ルールは場所と競技する人間により様々に違う。

拡張の仕事にもそんな違いがあると思うてもらえればええ。

これは、東海地方のある拡張団での話や。扱う新聞はY新聞。2003年の夏。冷夏やったとは思えんほどの日差しの暑い日のことやった。

午前10時30分頃、1DKのアパートの前に、白いワンボックスカーが止まった。ワシを含めて4人の男がその車に乗り込む。団からの迎えや。このワンボックスカーは途中で、もう2人拾って事務所に向かう。

午前11時。事務所に着く。ほぼ同時に他のワンボックスカー3台と乗用車4台が到着して、ぞろぞろと男たちが降りて事務所に入って行く。

事務所には各自、それぞれの机がある。机に着くと真っ先に昨日の契約分の半額を前借り伝票に書き込む。これは、通称「定期」と呼ばれとるもんや。

前借りの必要がなかったら出さんでもええけど、そんな奴はほとんどおらん。前借りせんかったら、給料日に給料として入ってくるから一緒やと思うやろけど、ワシらのほとんどは団に借金しとるからその分を差し引かれる。それも全額や。

例えば、100万円の借金があったとしたら、普通の会社での借金やったら月々3万円程度の返済いうところやが、団の場合は給料が30万円あったら、その30万円全額を差し引くんや。

手元に残らんことになる。それで、救済処置として、報酬の半額を上限として前借りという形で日払いにしとるわけや。

借金のない奴でも半額の前借りというのは一緒や。残りは、住居費や光熱費、団費等々の経費確保に残す。天引き用や。

経費は地域や住居の内容にもよるけど、1ヶ月、10万円程度というのが一般的や。天引きでもせんことには、そんなもん払う拡張員はおらんからな。

ワシは、昨日、1年カードが1本、半年カード1本、3ヶ月カード2本の計4本やった。ワシにしたら可もなく不可もない成績や。

拡張員の報酬は完全歩合制や。因みにこの団でもらえる基本カード料は、3ヶ月契約で4000円、半年で6000円、1年で8000円。一般的な額や。これを通称でヨーロッパ(4.6.8)と呼んどる。

この他に報酬として、プレミヤ料、まとめ料、即入料、懸賞金などがあるが、それらはその都度、別に話す。

ワシは前借り伝票に11000円の額を記入して団長の机に置いた。横で営業グラフに団のbQの部長が昨日の団員の成績を書き込んどる。

団長は5人の班長を集めて団員の成績と前借り伝票を突き合わせ金を渡す。ワシらはそれを班長から貰う。

午前11時30分。朝礼が始まる。今日は締め日の3日前。今月のこの団に新聞社から割り当てられとるノルマは新勧(新規勧誘読者)で1500本。そのノルマ達成までは微妙な数字のようや。団長のハッパがいつになく熱い。

もうすでに、ワシのように個人的なノルマを達成しとる団員は余裕やが、そうやない連中、特に班長あたりは大変や。

班長クラスになると自身のノルマはクリアして当然やが、班としてのノルマが達成されんと吊し上げられる。

団がノルマをクリア出来んかった場合、その原因がその班にあれば、他の団員からも白い目で見られる。ノルマを達成すれば通常のカード料の他に特別報奨金が出るんやが、それがなくなる。金に汚い拡張員がええ気するわけないわな。

団長も、歳若い新聞社の担当に嫌みを言われても口答え出来ずに頭を下げなならん。自尊心の人一倍強い団長としたらたまらんことや。

ハッパにも熱が入るちゅうもんや。そのハッパは現在、ノルマが達成出来そうにない連中に向かって猛烈にかけられる。

そんな連中にとってはこの時間は針のむしろや。まあ、拡張員だけやなしに、程度の差こそあれ何の営業会社でも似たようなことがあるんと違うかな。

団長の話が終わると、部長から各販売所への人員の振り分けが言い渡される。この団では1ヶ月の予定は月初めにプリントが各自に配布され、それには一応、団員の名前が書き込んであるが、月半ばを過ぎる頃には予定変更が多い。

この業界では当たり前になっとる、予定は未定というやつや。

これには、いろいろと理由があるが、カードの上がり具合が最大の要因や。団だけの問題やなしに販売所側の都合もある。この頃になると、販売所もノルマをクリアしとる所とまだの所とに分かれる。

ノルマのまだの所が、担当に拡張団の勧誘追加を要請する。担当は、拡張団にその要請を伝える。この時、大体においてノルマが微妙な団にこの要請が行くようや。もちろん、地場(受け持ちエリア)の問題もあるから一概には言えんがな。

この時期にノルマの上がらん販売所で、ええ所はない。(拡張の仕組み)でも紹介したが、カードの上がりにくい販売所や。ここに、ノルマの上がっとらん拡張員が行くことになる。もうおよその展開は言わんでもわかるやろ。悪循環の連鎖や。

ワシらの班はこの販売所のひとつに廻された。ワシと班長の山本(仮名)以外はノルマは達成しとらん。

班員は総勢7名。班のノルマは300本。達成までは後65本。今日を含めて3日間。常識的には無理な数字や。

午後0時10分。遅めの朝礼後、それぞれの車で出発する。ワシらの行先は、愛知県のK市北部販売所や。事務所から約1時間かかる。

ここへは今月2度めや。前回の時は、7人で5本しか上がっとらん。坊主が4人。この時はまだ月初めやったということを差し引いても話にならん成績や。

拡張員は大体に於いて喋りが多い。特に、道中の車中では良う喋る。それ自体は別に悪くも何ともないんやが、話の内容がお粗末というか害毒そのものが多い。

今日みたいに、ノルマが上がらず団長からどやされとる連中が多い班は、特にそうや。

まず、団長の悪口から始まる。次に他の班長、班員の悪口に移る。車に乗ってない人間が対象や。乗っとる者の悪口は絶対に言わん。

普段、悪口を言うとる団長や班長と同乗すれば、即座にごますりに変わりよる。間違うても、この悪口を言うとるような時に相づちなんか打ったらあかん。

相づちを打った人間がその悪口を言うたと言い振らされる。平気な顔でな。せやけど、まあ、この程度ならまだ可愛げのある方や。

一通りそれが終わると、拡張の自慢話になる。その自慢話も、苦労話や正当な拡張方法を言うのやったら、聞いとっても毒にはならんが、ほとんどそんな話はない。

てんぷらの上げ方や喝勧(脅迫による勧誘)の仕方、詐欺まがいの拡張話が中心や。そいつらもワシのようなベテランにそんな話はせん。

するのは、まだ新人の素人に向けてや。この班にも、今月入ったばかりの新人が2人おる。その新人に向かって自慢する。

新人にしたら、この仕事をする以上、なんとかめしくらいは食えるようになりたい。しかし、経験のある奴ならともかく未経験の素人ではすぐにカードを上げることはなかなか出来ん。ほとんどの新人が毎日の食事代もあらへんような状態やさかい、その意味では必死や。

それで、車中で聞いた話を鵜呑みにする奴が出てくる。拡張員はこうしてカードを上げるもんやと、錯覚するんやな。

それに対して抵抗をもたん奴が拡張員に嵌り込むし、馴染めん者は、辞めるか売り飛ばされるかしかないことになるんや。

どっちにしても、自慢話を鵜呑みにするようでは先はない。良う考えたら分かることやけど、どこの世界でも自慢話をたらたら言う奴にろくな者がおらんやろ。

自慢話の大半は、他人からの受け売りや道聴塗説の類、あるいは針小棒大に誇張して脚色しとるだけのもんや。特に、拡張員で自慢話の得意な奴は間違いなくこれや。

午後1時。目的の販売所に着く。班長と所長が形だけの打ち合わせをする。終了時間の確認。単車の使用台数の確認。拡材の確認。拡禁の有無。拡張カードの配布などをする。

終了時間は午後8時。単車使用は2名。単車は配達用に使うやつや。販売所は、拡張用の乗り物は事前にちゃんとした物を用意する必要があるが、ここの所長はルーズやからそれは期待出来ん。へたしたら単車にガソリンすら入ってないことがある。

ちゃんとした販売所ならそんなことはない。管理が徹底しとるとこなんか、誰がどの単車に乗ったか免許証のコピーまで取る。

拡張員は気をつけんと無免許の奴がおるから当然なんやけど、ここのルーズな所長は、それはせん。面倒臭いんやろ。

拡材はビール券と洗剤のみ。洗剤は箱入りで市価400円ほどのやつや。3ヶ月カードで2箱、6ヶ月で3箱、1年で5箱となり、これに3ヶ月カードはビール券が3枚、6ヶ月で5枚、1年で8枚つくことになっとる。

これは東海では一般的な拡材やが、この地域では戦えん。他の新聞販売所はこれ以上出しとるからや。他新聞より拡材が悪いと不利なんは歴然としとる。そのことを、ここの所長にも言うんやが、ルーズな上にケチときとるからどうにもならん。

拡禁のコピープリントが配られる。こういう所は、拡禁場所が多い。理由はいろいろあるが、トラブルが多いのや。つまり、最悪な販売所は様々な要因が凝縮されとるんや。

次に拡張カードの配布。拡張カードについて簡単に説明する。契約書のことや。大きさはハガキ大ほどでカーボン入りの3枚綴り(1枚めが客、2枚めは販売所、3枚め団用)になって、1冊で50件分ある。

販売所のゴム印が押してあるものが有効や。この契約書のことを拡張カード、単にカードと言うんや。

それと、もうひとつ、ワシらは必要ないけど、新人には拡域地図(拡販範囲地域地図)を渡しとかんとあかん。販売所が新聞を配る範囲や。

この範囲には一定の法則がない。市町村などの単純な決め方やない。販売所の能力次第という所やろ。同じ地域のA新聞の販売所とY新聞の販売所でも範囲は全く違う。

拡張の御法度の1つに、区域外拡張というのがある。原則として、拡張に訪れた販売所の区域以外でのカードは無効とされる。

これも、気の利いた所長なら、隣接の販売所に掛け合って何とかすることもあるけど、ここの所長では、それは望めん。

もっとも、それを許してたら何をするか分からん奴がおるから、しゃあないけどな。てんぷらカードを上げて来たって監査も出来ん。隣接の客に電話するのも、御法度の一つやからな。

監査については、最後に言うけど、拡張員のカードが正しいかどうか調べることや。これは、ほとんどの販売所でやる。まあ、それだけ拡張員の信用がないちゅうことや。

しかし、この販売区域の境界線というのが、ええかげんな所が多い。販売所同士でもこの境界で良う揉めとる。客の取り合いになるんやな。

トラブル所はしょっちゅうトラブッとる。せやから、新人の内はあんまり境界近くには行かん方がええ。

最後に、所長と班長とでまとめ本数の確認をする。まとめ本数とは、団と販売所が1ヶ月に契約しとる本数のことや。因みに、この販売所とのまとめは50本。今月、他の班も含めて28本のカードが上がっとるから、残り22本となる。

ワシらの班が残り22本のカードを上げると、まとめ料というのが、販売所から出る。まとめ料は、販売所によっても多少の上下はあるが、大体、1本当たり1000円が相場や。これは、この販売所でカードを上げた団員すべてに配当される。

責任は重大や。もっとも、同じようなことが、他の販売所でもあるから、お互い様やけどな。しかし、ワシらの班は前回5本しか上げてない。残り22本を今日、1日で上げるのは普通に考えたら無理や。

午後1時15分。販売所を出た所で、拡張員は解散する。ワシは、単車に乗ってこの地域で行きつけの喫茶店に向かった。食事が目的や。

ワシがその店に着いて、5分ほど後に、班長と残り5人が入って来た。班長の山本がワシの席に来た。

「ゲンさん。話がある……」

「何や」ワシには、班長が何を言いたいのか、およその見当はついとるが、あまり興味がないような素振りで言う。

「何とか10本、頼めんかな。弾やったら廻すから……」

「分かった……。せやけど、山ちゃん、あんまり無理したらあかんで」

プロ同士の短い会話やけど、この会話の中に多くの意味が含まれとる。ここのまとめの22本を2人で上げてしまおうと班長は言うてるんや。ワシが10本で班長が12本ということや。

残りの5人は充てにしとらん。新人2人は仕方ないとしても、後の3人は能書きだけで頼りにならん。へたに煽っても、てんぷらなんかの不良カードを作るのが関の山やさかいな。力のない者は充てにせんちゅうのが、この世界の掟や。

ワシもこの班でプロとして認めとんのは、この班長の山本だけや。実力があるだけやなしに、人間としても、ましやと思う。

どの世界においてもトップクラスの実力者は、それなりに光るもんをもっとる。例え、それが拡張員であっても例外やない。

山本の弾というのは、金と拡材のことや。ワシにしてみれば、他の地域なら、その気になって頑張って廻れば1日で10本というのは、それほど難しい数字やない。しかし、ここではきつい。

与えられた拡材が悪ければ尚のことや。班長の言うのはそれを補うための弾というわけや。拡材を増やせばカードが上がるのかというとそれほど甘うはない。

新聞を変える気のない読者にとっては、ビール券が3枚から10枚に増えたところで関係ないというのが普通の反応やからや。

せやから、闇雲に拡材攻撃を仕掛けても徒労に終わることの方が多い。特別な拡材、例えば『拡張の歴史』で話した、数年前の奈良県のような5万円分の商品券やというのなら話も違うやろけどな。

その特別な拡材攻撃でもピンポイントでせなあかん。ワシらも普段はあんまり相手にせん連中がその対象になる。

拡張員も相手にせんような者ておるんかいなと思うやろけど、世の中には、ワシらよりえぐい奴は何ぼでもいてる。もっとも、今回のように儲けを度外視してでも本数が必要な時はそんな連中でも重宝するがな。

ワシらは連中のことを「乞食読者」と呼んどる。もちろん、本人を目の前にして、そんなことは言わん。

奴らは、読む新聞なんかどこのでもええ。拡材が目当てや。特にビール券が一番人気や。ビール券というのは、単にビールが買えるというだけやなしに、スーパーで買い物券として使えることもあるし、金券ショップで現金にもなる。

えぐい乞食読者になると、今回のワシらのような事情を知っとる者もおるから、かなりな拡材をふっかけよる。よほど性根を据えてかからんと食われてしまう。次に、奴らとの典型的な交渉を紹介する。

「ご主人、また来ましたで、頼みますわ」

「ああ、ゲンさんか。今、入っとるのがAで、Mがその後になるから、あんたとこがいけるのは11月くらいからかな」

「それで、結構ですわ。ワシらも不景気でちょっときついんで、今回は10枚で頼めませんか」

「30枚」「12枚」「28枚」「15枚」「25枚」「18枚」

「しゃあないな。分かった。20枚でええ。その代わり洗剤5箱つけといて」

という具合に、まるで洋画の1シーンみたいなやりとりがある。奴らは、総体的に強気や。無理して新聞を取る必要はないと思うとる。

ワシらの方に弱みがあるのを見越しとるんや。それにしても、この会話は3ヶ月分の契約でのことやで。

信じられん者もおるかも知れんが、程度の差こそあれ、こういう乞食読者はどこの地域にも必ずおる。比較的、懐に余裕のある拡張員は、必ずというてええほど、こういう輩とつき合うとるもんや。

どんな連中にこういうのが多いのかと訊かれても一概には言えん。豪邸に住んどる金持ちの場合もあるし、安アパートの住人の場合もある。年寄りもおれば、若い奴もおる。男も女も関係ない。

これは、その人間の持って生まれた資質のようなもんやと思う。損得や欲に執着しとる者に、貧富や年齢、男女の差はあんまり関係ないちゅうことや。

こういう連中は、何ぼ装うてもワシらは一目で分かる。顔や仕草、服、家、車、干してる洗濯物からでも分かるんや。

それが何でかということを説明すると、喋り続けて3日はかかるし、ハカセに頼んで本にして貰ろうても10冊分くらいは必要やと思うから、とても今ここでは話せん。その内、折りがあれば話す。

逆に、全く脈のない人間も即座に分かる。極端な話、そこの家の住人に会わんでも玄関口に立っただけで分かるもんや。また、そのくらいで、なかったら拡張員を長うは続けられん。

ワシら拡張員は物欲しそうな人間を見つけて勧誘するというのが基本中の基本や。そうでない人間に無駄な時間は使わん。

ワシも拡張で廻っとると、客に文句を言われることが良うある。「何で、あんたら拡張員は、こんなにしつこいんや。何回来たら気が済むんや。もうええ加減にしてくれ」と。ひょっとして、これを見とるあんたにも覚えがあるんと違うかな。

答えは簡単。あんたは、ワシらから見たら物欲しそうなタイプに見えるからや。こればっかりはどうしようもない。

あんたの持って生まれた内面は、あんた自身で変えるのは難しいやろうし、ワシらはあんたのような人間を捜し出すプロや。

救いのないことを言うて悪いけど、おそらく、あんたは一生、拡張員やセールスマンに狙われるやろな。拡張員の訪問が多いというのが、それを証明しとる。

何度も言うけど、拡張員は無駄な時間は使わん。というより、よほどのことがない限り、拡張員はワシも含めて、せいぜい、1日、3,4時間程度しか仕事はせんもんなんや。

ほとんど、喫茶店かパチンコ屋におる。短い時間を有効に使うには、脈のある人間を捜して勧誘するしかない。拡張員としての自然の摂理や。

反対に脈のない人間には、驚くほど拡張員の訪問はない。同じ町内であっても、多い人間は週に3,4度か、もしくはそれ以上あるが、少ない人間は、何年も拡張員に出会ってないということも現実としてある。

ただ、例外は何にでもある。あんた自身が拡張員から狙われる要素がないのに、訪問が多いという事は考えられる。隣、近所に拡張員の格好の標的が住どるから、ついでにというやつや。

話を前に戻す。先程、乞食読者との交渉で、3ヶ月契約で、ビール券20枚に洗剤5箱ということになったと言うたが、当然ながらその負担のほとんどはワシらがする。

販売所から出る拡材は、3ヶ月でビール券3枚に洗剤2箱や。これと、3ヶ月カード゛料の4000円分を差し引いた分が、ワシらの持ち出しとなる。

ビール券も洗剤も通常より安う手に入る言うても、負担はそこそこになる。それも、たった1件のカードで。

班長がワシに弾を廻すというのは、それで上がったカードの持ち出し分を負担するという申し出や。

それだけ班長は追い詰められとるということや。今日の団長からのハッパもあるやろうし、他の班長との対抗意識や自身のプライドもある。金のことは度外視してでも何とかせんとあかんと思うとる。

ワシも昔、他の団で、おだてられて班長をしたことがあるから、気持ちは良う分かる。ノルマ以外のことは考えられんようになっとるんや。

ワシもそれで深みに嵌り、結局、借金を増やした苦い経験がある。班長の山本に「無理したらあかんで」と言うたのは、そんな思いからや。

今回、ワシにはちょっとした秘策があるから、乞食読者のカードに頼らんでもええかも知れん。もっとも、その秘策が空振りした場合は、しゃあないけどな。

因みに、ワシの知っとる乞食読者は、この地域でも10人以上はおるから、本数目当てだけなら何とかなる。

午後2時。食事とコーヒーを済ませたワシは、秘策の準備もあるし、いつもより早めに仕事を開始することにした。普通なら、午後5時頃からしか廻らん。それまでは、パチンコ屋かマンガ喫茶におる。

今年は、冷夏やいうことになっとるらしいが暑い。昼間から外に出とったら死んでしまう。それに、今日みたいにウイークデーの昼間は留守が多いしな。

家におっても、嫁さん連中は、テレビを見とるか昼寝しとる。クーラーをがんがんに冷やしてな。ちょっとやそっと、玄関口で呼んだくらいでは気づかんし、気づいても無視して出て来ん。

ワシは無駄なことはせん主義や。と、まあ、サボる口実は何ぼでも見つけるのがワシらの特技みたいなもんや。本当は、何もせんより何かしとった方がましに決まっとる。「犬も歩けば棒に当たる」言うしな。

事実、真面目に根良う廻っとれば「ちょうど、ええとこに来てくれた。新聞取りたかったんや」という夢のような客が、数は少ないけどおるんや。

そういう時は真面目が一番やなと思うんやけど、根っからのぐうたらなワシが、そんなことを長続き出来るわけないわな。

この拡張の仕事はカードを上げられん者には辛いけど、人に文句を言われん程度に出来る人間にとっては、こんな楽な仕事はない。結果さえ出れば、何をしていようと自由や。誰も何も言わん。

ワシ自身、最悪な仕事と認めつつ、なかなかこの仕事を辞められんのは、この気楽さのためや。普段は、その気楽さを満喫しとるワシやが、やる時はやるんやで。

やる気がある時のワシの仕事を見ることの出来るあんたは憑いとる。ワシが頑張っとると言えるのは1ヶ月の内、良うて3日ほどやからな。

ワシは、今まで自分の営業テクニックを人に話したことはない。今回、ハカセが初めてや。

ハカセはワシの営業テクニックを評価してくれとる。「ゲンさんの営業テクニックは素晴らしい。本にしたら、面白いと思うし、説得力があるから、絶対いけるよ」と言って、早速、本作りを始めとるようや。

しかし、ハカセは何か大きな勘違いをしとるような気がしてならん。本を作って誰に売るんや。拡張員が一番勉強になるかも知れんが、断言するけど、拡張員は絶対に買わんで。

本を読んでまで、真面目に仕事をしようちゅう拡張員がどこにおる。当人のワシでさえ、他の誰かが書いた拡張のテクニックなんか買うてまで読まへんわ。

タイトルはどうするんや。「新聞拡張のテクニック教えます」か?こんなん誰でも引くで。それに、こんな本が普通の人間の役に立つわけあらへんやろ。

営業の参考にするんなら、他に有名な作家の書いた営業指南書の類の本が何ぼでもある。一部のマニアックな連中なら面白がるかも知れんけど、それだけのことや。

ワシがこれだけ言うても、ハカセは聞いとらん。「やはり、問題はタイトルかな。『拡張員撃退法』だと趣旨が違うし、どこかにありそうな感じだからなぁ……」

どうやら、ハカセは本気で悩んどるようや。あんたでもええわ。何かええアイデアがあったら教えたって。今のところ何も礼はないと思うけど、それで何かの拍子に間違ごうて売れたら、ビール券くらいやるで。

さあ、アホなこと言うてんと仕事や。ワシが向かうのは、一戸建ての多い新興住宅地。ターゲットは小学生の子供。

ちゅうても、当たり前やけど子供に新聞取らすわけやない。取らすんは親や。せやけど、子供をターゲットにした商売は嵌れば威力あるんやで。

この際、子供をダシにして、やり方がきたないなぁとかいう、突っ込みは止めてんか。まあ、心配せんでも、喜ばれる相手にしかこの手は使わんつもりやから。

拡材が重要なポイントになる。まさか、子供相手にビール券や洗剤で釣るわけにはいかんからな。そんな物を欲しがる子供がおったら怖い。子供用の拡材を自分で用意するんや。

今回、ワシが用意した拡材は、子供に人気の高いポケモンの映画のプレミヤ付き鑑賞券や。これは、どこにでも売っとる映画の前売り券とはわけが違う。ワシはこれを手に入れるために、先月、まる1日費やした。

この映画鑑賞券を持って、ジャスコのゲーム売り場に行くと「ジラーチ」という幻のポケモンを貰えるという、子供にとったら、たまらんほどおいしいプレミヤ付きのもんや。

因みにこれを、ワシは30枚ほど手に入れとる。1枚800円。安いがその分、ちょっと苦労もしとる。何せ、ええ歳したおっさんが、子供に混じってこの券を手に入れるために朝から列んでんのやから。

しかし、こいつの威力は1枚でビール券20枚に匹敵する。拡材は金をかければええちゅうもんやない。欲しい人間に欲しい時、欲しい物を用意しとくもんや。そのためには、情報のアンテナを常に張り巡らせとかんとあかん。

そして、それを有効に使うためにピンポイント攻撃をする。何ぼ、ええ拡材でも、闇雲に打ったって当たらん。

ここで、今回のターゲットについて検証してみようと思う。ちょっとした、プロファイリングやな。

子供はポケモン好きの小学生の男の子。女の子のファンもおるから、状況次第やな。ゲームボーイ・アドバンスのゲーム機とポケモンのルビーかサファイアのソフトを持ってること。プレミヤ付きの鑑賞券を持っていない。

わがままな子で一人っ子。子供に甘い親。優柔不断な親。生活があまり楽でないと感じてる親で損得に敏感。親と子供が夕方にいる家。一軒家ばかりの住宅地。○○が丘とか○○台という団地がええ。Y新聞の読者と違うこと。

この条件に適いそうな家を今からチェックして廻る。ワシは家を見て廻れば、この程度のことやったら8割から9割方、分かる。

一番の情報源は洗濯物や。この暑い昼間の2時に仕事を始めるのは、この洗濯物を確認するのが主な目的や。

この時間より遅うなったら、洗濯物をしまい込む家もあるから、なるべく急がんとあかん。洗濯物でその家の情報が驚くほど良う分かるんや。

子供の有無はすぐ分かる。何歳くらいの子供か。男の子か女の子か。一人っ子かそうでないかも歴然や。ポケモンが好きかどうかも、下着やTシャツの柄で判断する。

例え、ポケモンのキャラクターの絵柄がなくても分かる。子供の性質もある程度推測可能や。親の性格はほぼ分かる。その家の経済状態も推察出来る。

他にも分かることはまだまだあるけど、この程度分かればええやろ。この時、よその家の洗濯物なんかをじろじろ見てたら、不審者と間違われんのかと心配する向きもあるかも知れんが、大丈夫や。

ワシの乗っとるのは、新聞店の単車や。表面上は、販売店の店員にしか見えん。また、ワシはそうとしか見えん服装をしとる。拡張員と見破ることが出来るのは同業者くらいしかおらん。

ワシは自分で作った順路帳を取り出して、それに詳細を書き込む。こうすれば、後で、その家を捜すのに苦労せんでもええからな。販売店の店員なら、いかにもちゅう感じで怪しまれんと一石二鳥や。

順路帳というのは、配達員が配達する家を間違わんための特殊な記号で書かれた地図のことや。起点(最初の家)さえ分かれば、誰でも誤配がないようになっとる。配達員は慣れん内はこれを見ながら配達するんや。

何でワシがこんなことを知っとるのかというと、前に代配してたことがあるからや。代配というのは、販売所の配達員が、急病か何かで当日、急に配達出来んようになった場合、販売所からの要請でその配達人に代わって団が人を派遣して配達することや。

明け方の4時頃、呼び出されることが多い。当然、誰のどの配達区域かなんて知るわけがないから、順路帳を頼りに行くしかないというわけや。順路帳が分からんかったら出来ん。

これは、いつ呼び出しがあるか分からんので、待機料込みで1回につき2万円貰っとった。団の方に何ぼ渡っとるのかは知らん。団と販売所も複雑に絡み合うところは絡み合うてるちゅうことや。

午後3時。ほぼ1時間ほどかけて25軒ほどリストアップした家をその順路帳に情報込みで記入した。ワシはそのリストの整理と暑さしのぎのために喫茶店に入った。

ワシの感触としては上々やと思う。今は、夏休みに入っとるから、子供がそこらにおる。団地内の公園も見て廻ったか゛、案の定、ゲームアドバンスを持って遊んどる子供たちもおった。狙い通りやと思う。

この中から、5本のカードが上がれば良しとする。しかし、これだけ準備をしたから十分というわけにはいかん。ドアホンキック(インターフォンで断られること)されたらそれで終いや。ドアホン越しで営業したらほとんど、これでアウト。誰も聞く耳を持たんし出て来ん。

こういう場合、営業指南書なんかやと手練手管を紹介して客を外に引っ張り出す方法について解説しとるのがある。拡張員の中にも、客はこうやって引っ張りだしたらええんやと自慢げに言うとるアホがおる。

拡張員の手口はほぼ決まっとる。大半が嘘の呼び出しや。「新聞の集金です」「宅配便です」という類やな。自分の名前だけしか言わん奴もおる。とにかく、客を引っ張り出すことしか考えとらん。

ワシはこういうマネはせん。例え、それで客が出て来たとしても、印象が悪いから、どうしても強引な勧誘になる。それでも、乞食読者の類だったら何とかなるが、今回のワシのターゲットにはそれは期待出来んから、まず空振りになるケースが大や。

何も難しいことを考えんでもええ。初めから、外に出てる人間にアタックするんや。今回の場合、まず、子供を釣らんと話にならんから、表で遊どるその家の子供に狙いをつけるわけや。

午後3時30分。作戦開始。これから、2時間が勝負や。この2時間ちゅうのは、ターゲットに合わせてのもんやない。

ワシの方の問題や。人間の集中力の持続には限界がある。ワシは経験から集中力の持続は2時間と踏んどるんや。

営業は集中力が切れたらあかん。何でもそうやげど、相手に気持ちが伝わらんかったら話にならん。

集中しとる時のトークは切れるし、説得力も増す。普段でもワシは口は達者な方やけど、特に、こういう時は自分でも驚くほどトークが冴えるし機転も利く。一見の価値有りやで。

起点の家に着いた。最初の1軒めが、その日の成否を決める。成功すれば一気に乗れるが、失敗したら落ち込むし疑心暗鬼になる。何ぼワシかて作戦が空振りすることはある。運不運もあるしな。

その家の門の前に小学生2年生くらいの男の子が2人、ゲームボーイ・アドバンスで遊んでいた。これは偶然やない。小1時間ほど前に調べた時にもいてた。子供はゲームをやりだしていたらなかなか止めんもんや。

門に廻る前に、裏口で洗濯物を確認していた。洗濯物が取り込まれとる。親がおるということや。

「ぼく、何のゲームしてんの?」
この時、注意せなあかんのは、子供に近寄って話す場合、上から見下ろしたりせんことや。ええ子やね、と頭をなでるような仕草はあかん。子供によったら、恐怖心を抱く。

こんな場合、姿勢と目線を、子供の位置にまで下げるんや。子供が座っていたら、こちらも座って同じ高さで話す。子供に対する基本や。

後は、子供に警戒心をもたれるか好意を持たれるかは、その人間次第や。ワシは子供には人気がある。子供に馬鹿にされたことは何ぼでもあるけど、怖がられたことはほとんどない。これは、この作戦には、重要なファクターや。

今の子供は親から「知らない人間とは話したらだめ」と、口うるさく注意されとる。子供の連れ去り事件が多発しとる今の時代には仕方のないことや。

せやから、注意せなあかんのは、そういう誤解を招かんように、誰の目からも新聞屋のご用聞きというのが分かるような感じを出さなあかん。せやなかったら、今の時代、怪しいと思われたら、すぐ、通報されるで。

それにしても、子供のうちから、人を信用するなと教えんとあかんいうのは寂しいことやけどな。

「ポケモン」
男の子の1人がちらっとだけ、こっちを見て言った。この家の子供のようや。

「ジラーチ、持ってる?」
子供には駆け引きは必要ない。すぐ本題の方が効果ある。

「持ってない。何で?」
子供の目に好奇心が現れる。

「おじさんは新聞屋なんやけど、今日はサービスで、この券を持って来たんや。これを、ジャスコに持って行ったらジラーチが貰えるんやで」

「ぼく、知ってる。これ、貰っていいの?」
ワシが軽く頷くと、子供は券を片手に家に駆け込んだ。母親に報告しとる。

「いいな。ぼくも欲しい」
もう1人の男の子が言う。

「近所の子?」と訊くと、すぐ近くだと答えた。
「じゃあ、あとで君ん家へ行こうか」と納得させる。

「どうも、すいません。本当に、こんなもの貰っていいんですか?」
この家の母親が出て来て言った。ワシをいつも配達しとる新聞店の従業員やと思うとるようや。この母親の印象はワシのほぼ予想通りや。

「ええ、実は……」ここで、おもむろに、Y新聞の勧誘に来たことを伝える。当然、母親は困惑する。

「困ります。うちは長いことC新聞しか読んでないので……」
これも予想の展開や。C新聞の読者というのも承知しとる。

C新聞というのはこの東海地方のブロック紙や。この東海では、全国紙よりも圧倒的に購読率は高い。東海地方最強の新聞と言うてええやろ。

子供はもう貰った物とばかり、はしゃいでいる。母親は子供に「返しなさい」と言うが子供は聞かない。子供は、これは他では手に入らないことを親に力説する。どうしても欲しいと。

優柔不断で子供に甘いこの母親は困り果てたという感じを見せる。ここで、ワシはやさしく、一押しをする。

「奥さん、何もずっと取って欲しいというじゃないんですよ。3ヶ月だけでいいんです」

これは事実や。ワシら拡張員は新聞の勧誘をするけど、社員ちゅうわけでもないから、その新聞社と運命共同体とは考えとらん。

逆に、ワシらが勧誘した新聞をずっと読まれたら困る。すべての国民が交代読者になって、いろんな新聞を交代で購読して貰うことが、拡張員の願いなんやから。

勧誘は新勧が基本やが、お越しというて、以前はその新聞の購読者やったが、現在は他の新聞を購読しとる客の勧誘もカードとしてカウントされる。一部の販売所では認めとらん所もあるようやが、ここでは問題ない。

極端な話、Y新聞からC新聞、C新聞からY新聞と定期的に交代してくれる客は、ワシらにとっては上得意様となるわけや。何度でも客になってくれる可能性があるんや。

ワシはそういう客を日夜確保するために、あらゆる秘策を考案しとる。その場しのぎのために、しんどい思いはせん。

「でも……」優柔不断な人間というのは、断るのも優柔不断やが、決めるのも良う決めきらん。そうは言うても、ほとんどがこのパターンなんやけどな。ここで、最後のプッシュや。

「奥さん、C新聞から毎年何かサービスしてくれますか?」と訊く。ほとんどは「何もない」と答える。古くから購読しとる客の中には契約書すらないことも珍しいことやない。

長期購読者には何もやらんというのが新聞販売所の大原則、不文律やから、わざわざ寝た子を起こすようなことはせんというわけや。

「奥さん、C新聞がやってるサービスを知らないんですか?最低でも、一年のうち3ヶ月分の購読料は無料なんですよ」C新聞にも勧誘員がいて拡材も同じようにある。

ワシの知る限り、C新聞は品物より無料サービスを軸にしとるようやから、こう言っておけば間違いない。

「でもね、長いこと取ってる人は可哀想に、販売店さんはお客さんには何も教えないから何もないままなんですよ。おかしいですよね。本当は、そんな長期購読者ほど大切にするべきなのに。だから、一度、脅かしのつもりでも、ちょっとの間、他の新聞を取ってみたらどうです。C新聞さんも、驚いて、次からはちゃんとサービスしてくれますよ」

これで、この母親の気持ちが大きく傾いた。どんな人間も、自分だけ損をしていると言われてええ気はせん。誰でも、出来れば得したい。特にこの母親の性質ではほとんどがそう考える。

そんな気持ちになった時、子供の喜んどる姿を見て、今回だけは仕方ないと自分を納得させることになるのが、この母親のようなタイプに見られる典型的なパターンや。

それに夏休みの間、子供をどこかに連れて行くにも金がかかるし、ただというのは有り難いとの計算も働く。

この場合に限ってやが、新聞を止めるのじゃなく、一時的な休止という線を強調することを忘れたらあかん。

そして、止めは、その新聞を休止する電話を、この場で母親に代わってしてやることや。もちろん、勝手にやったらあかん。しかし、こういう母親は、こちらが提案すれば、ほとんどがそうしてくれと頼む。

優柔不断な人間というのは最後まできっちりと面倒を見んと、後で考え直すか、人からの入れ知恵で翻意し、トラブルこともある。詰めは確実にや。

「もしもし、○○台2丁目の○○ですけど、申し訳ないけど、来月から3ヶ月間、新聞を休止してもらえませんか」

電話の内容はこれだけでええ。あんまり、いらんことを言わん方がええ。新聞店も、これは聞き入れるしかないんや。

新聞店の中には、その理由を客に問いただす所もあるから入れ知恵をしとく。これで、1軒カード成約や。

次は、表で待つ子供の家や。これは予想外のことやが、たまにはこういうこともある。ええか悪いかは行ってみんことには分からん。

先に鑑賞券を手渡すと子供は急ぎ足で帰る。それを、単車でゆっくり追う。子供が飛び込んだ家は、ターゲット外の家や。ここの情報は何も仕入れてない。出たとこ勝負しかない。

出て来た母親を見た瞬間、これはいけると直感した。物で釣れる種類の人間や。案の定、大した問題もなく、先程の家とも仲がええのか、その母親が購読したことを知るとすぐに話はまとまった。

この2番めの母親は、やはりワシの睨んだ通り、欲深い。私の分もくれと言う。子供用の券しかないことを伝えても、それでええからよこせと言うのや。

大人は入れませんよと念押ししても「大丈夫、映画館の窓口で間違って買ったからと言うて、差額分出したら入れるから」と平気な顔や。

承知すると「前の奥さんと一緒に行くから、その奥さんの分もね」と言われる始末や。ここまで来たらしゃあないがな。

結局、それだけやなしに洗剤も3箱づつ置いて行くことになった。安く上げようというワシの目論見は失敗やったが、こういう客を確保出来たのは大きい。

へたすると、乞食読者になる可能性があるが、持って行き方次第では、ええ客になる。後は、ここの評判の悪い販売所が3ヶ月の間に誤配なんかのトラブルを起こさんように祈るだけや。

結局、この後、15軒程度廻って、成約は8軒。上出来や。残り10軒廻れば、最低でも5軒は堅いかも知れんが、ワシの気力と体力が続かん。すでに2時間の予定をオーバーしとる。

それに、目標は5軒やったから十分や。それで、班長との約束の10本は確保出来る。というのは、実は、ワシはこの販売所での隠しカードをすでに5枚持っとるからや。

隠しカードというのは隣接や近くの販売所に来た時に上げていた、この地域でのカードのことや。

区域外の拡張無効の話を前にしたが、ワシと客の都合上、どうしてもその時にカードとして上げる必要のある時が生じることがある。

そんな時に上げて自分で持っとって、その地域の拡張の日に出せば誰にも疑われず、当日、拡張したものとして有効になる。

どうしもその時にカードを上げる必要のある時というのは、どんな時か。ワシの上得意は交代読者と言うたが、その読者がどこの新聞をどういうサイクルで購読としるかというのは、当然のことながらワシは全部、把握しとる。

つまり、ワシが今、拡張しとるY新聞の購読をその客が購読期間を満了すれば、他の新聞の購読をすることになる。この時、この客にその後の分として、契約して貰う。これは、のんびりしていたら、他の拡張員に先を越される虞れがあるから早めに押さえんとあかん。

そこで、そういう客がその時期になった場合、例え、区域外で拡張していたとしても、そこに行きカードとして確保しとくというわけや。行ける時に行っとかんと、いつ行けるか分からんからな。

ワシは、その月にもよるが、こういう客は1ヶ月で20軒〜30軒ほど確保しとる。めしを食うだけならこれだけでも十分や。まあ、ぐうたらにもなるわな。

この交代読者というのは、乞食読者と似ているようにも思われがちやが、違う。性格的に気の弱い人間が多い。乞食読者とくらべて欲は少ない。もっとも、進化する?虞れはあるがな。

この交代読者にもメリットはある。知らない拡張員には「お宅の新聞読んでますよ」と言えるからや。

現読拡張禁止が拡張員の大原則やから、その拡張員を簡単に追い払うことができる。しかも、悪態なんかは一切つかれない。つまり、気に入らん拡張員の相手をすることはないちゅうことや。

午後6時。班長の山本から電話が入る。状況が知りたいということや。10本は何とか確保出来ると言うと安心したようや。弾もいらんと答えた。班長も、予定通り上がる見込みやと言う。

残りの5人は連勧(グループで勧誘すること)させている。これはメリットもあるがデメリットもある勧誘や。メリットはひとりじゃないから、サボれない。

拡張員は、ワシ自身のことを棚に上げて何やけど、良うサボる。ちょっとでも、金に余裕があれば、仕事なんかせん。

ノルマがどうとか関係ない。怒られてもその時だけ辛抱したら終わりやくらいにしか考えとらん奴が大半や。

しかし、グループで仕事させると、自分一人だけサボるということは出来ん。その中の古株は特にサボれんし、ええとこを見せなあかんと気張る。

因みに、連勧の場合、上げたカードは基本的に全員で分配することになっとる。上げた者のカードにはならん。これは、全員で同じ情報を元に同一地域を勧誘するから、そこで上がったカードは、そこに行った人間がたまたま運が良かっただけという考え方からや。

上げた者勝ちやったら、古株は自分だけ有利な客を狙い、新人にカスを廻すことがあるから不公平になるというんで、そういう約束事になった。それでも、実際は、その分配法でもよう揉めとる。同じ条件のカードが人数分上がれば問題ないけど、そうやなかったら……。

この分配が原因で団員同士、殺し合い寸前の喧嘩沙汰というのは、そう珍しいことやない。まあ、余程のことがない限り、拡張員の喧嘩が表沙汰になることはないがな。

今回の情報というのは、過去読者のお越しや。班長が所長に掛け合って、過去読者のリストを出して貰っていた。過去読者というのは、一見良さそうに思うが、そんなに簡単なもんやない。

特に、この評判の悪い販売所やと、揉めた客も多い。それにリストに上がっとるというのは、販売所の方で廻るのを止めた難しい客の可能性が高いちゅうことや。

しかし、何の充てもないよりましなことも事実や。それと、リストの人間も何十軒もあるわけやないから、その近辺で思わん客を拾える可能性がある。サボらずに仕事するとそういうこともある。

デメリットは、強引な勧誘になることが多いということや。例えば、リストの人間がおるアパートに狙いをつけた場合、そのアパートに全員で乗り込むことがあるから、極端な話、隣同士で勧誘しとるということもある。

そんな時、ひとりの時なら対面よりも1本のカードが大事やいうことで、低姿勢の場合が多いが、隣の声が聞こえているか、仲間に聞かれていると感じた拡張員は、見栄を張るんや。情けない所は見せたぁないちゅうことや。

強引な勧誘は当然、揉める。それで、決裂したら暴言も吐くし、玄関口を蹴飛ばす奴も出て来る。拡張員の悪評の見本みたいになるわけや。

この時間までに、連中の上げたカードはまだ3本ということらしい。そこで班長は、ワシに廻そうと思うた弾を急遽、連中に使わせることにしたようや。拡材を何ぼ使うてもええから、カードを上げろということや。

午後7時50分。ワシが販売所に着いた時には、班長や連中も帰って来とった。連中が嬉しそうにしとるところを見るとカードもそこそこ上がっとるようや。

カードの総数は39本ということやった。なかなかの成績や。この販売所でということを考慮すれば申し分ない。内訳は、班長11本、ワシが13本、残り5人が3本づつの15本ということやった。

後日、知ったことやが、班長が5人に均等になるようにとカードを3本ほど廻してたらしい。班長は気苦労が多い。なるもんやない。

因みに今日のワシの稼ぎは、カード料として、1年3本、6ヶ月2本、3ヶ月8本やから計68000円。即入料(翌日か翌月購読の場合出る手当)1年と6ヶ月は1本当たり1000円やから5000円。3ヶ月は500円で4000円。この即入料の9000円だけは販売所からその日に直接貰える。

まとめもクリアしたからまとめ料が前回分2本を足して15本で15000円。これは、給料日に加算される。1日の稼ぎが総計で92000円ということになる。

拡材の持ち出しはほとんどない。カード料は半額渡しが決まりやから、明日の現金は34000円になる。これだけ見てたらええ稼ぎのようやが、そう甘いことばかりは続かん。第一、ワシが毎日、こんなに仕事なんかするわけない。

拡張員が稼ぐとろくなことがない。ギャンブルで金を使うとか、そういうことだけやない。他の拡張員からの妬みや嫉みから、中傷の的にされ、へたしたら潰される。その団にいずらくなることもある。

せやから、いつの頃からか、ワシはこんな時、常にラッキーを強調するようになった。ただのまぐれやと。過去にコンテストで優勝したことがあったが、その後おかげでえらい苦労をすることになった。この話も長くなるので、後日、することがあればする。

「敢えて天下の先たらず」や。老子さんの言葉やないけど、どんなことでも先頭に立ったらろくなことはない。しんどいだけや。何でも、一番になりたがる人間はアホやとワシは思う。

午後8時30分。監査が終わり、カードが確定した。監査とは、所長と従業員とで拡張員の上げて来たカードを、コンピータと照合し不正がないか確かめ、1軒づつ客に電話確認をすることである。客に対しては、表面上、新規購読の礼をするという名目がある。

10分後、団長が到着して今日の仕事は終わる。団長は機嫌が良かった。ここだけやなしに、他でもかなり成績がええようや。

この日、アパートに着いたのは午後10時頃やった。ここまで、付き合うてくれた、あんたには長い1日やったと思うけど、堪能したかな。

これで、拡張員の大半が分かったと勘違いされたら困る。拡張員の年間出勤日は300日ほどとして、ワシが約10年仕事をしとるから、今日はその3000日の1日でしかないわけや。

明日はまた違う1日が始まる。人生に同じ日が二度ないのと同じや。


追記 勧誘員の方へ 2006.1.1

ここでは、子供をターゲットにした拡張をモデルとして引用したが、これはあくまでも、こういう勧誘方法もあるということで参考程度に考えてほしい。

昨今、小さな子供に対する残虐な殺害事件が多発しとるということがあるから、今はこういう方法は見合わせた方がええ。迂闊に子供に声をかけると、それだけで、不審者扱いを受けるということも少なくないと思うからな。

少なくとも、子供と1対1になるようなら、ここで言うてるようなことは避けた方が無難や。もちろん、保護者と同伴なら、その限りやないやろけどな。

とこかく、何事も「李下に冠を正さず」ということを心がけることや。疑われることをすること自体が罪やと思うてたら間違いない。


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